望み得ない時に望みを抱いて信じる

聖句:

“望み得ない時に望みを抱いて信じ、「あなたの子孫は、このようになる」と言われていたとおり、多くの国民の父となりました。 彼は、およそ百歳になり、自分のからだがすでに死んだも同然であること、またサラの胎が死んでいることを認めても、その信仰は弱まりませんでした。 不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、 神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。 だからこそ、「彼には、それが義と認められた」のです。 しかし、「彼には、それが義と認められた」と書かれたのは、ただ彼のためだけでなく、 私たちのためでもあります。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです。 主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。” ローマ人への手紙 4章18~25節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

観察:

アブラハムの信仰が、アブラハムが生きているうちに神様からの約束を見せる原動力になっていました。パウロは、ここで面白い発言をしています。

「望み得ない時に望みを抱いて信じ、『あなたの子孫は、このようになる』と言われていたとおり、多くの国民の父となりました。」

信仰とは、私たちにはまだ見えていない神様が私たちのために用意してくださっているものに向かう、神様とともに歩む旅路です。神様のすべての約束は信仰から来ます。自分は、神様がこうなると神様が言われていることを信じなければいけないのです。完全な信仰というのはありません。しかし、計り知れないほど忠実なお方であられる神様、その神様が私のために用意してくださっているものを受け取れるように、その信仰を働かさなければならないのです。

今日私が学んだことは、どうやってアブラハムが神様があなたはこうなると言われた通りの人となったのかということです。アブラハムの人生において信仰がどのように働いたかを学び、信仰の旅路の助けとなりました。

§ アブラハムは、望み得ない時に望みを抱いて信じた。これは素晴らしい記述です。望み得ない時に望みを抱いて信じたのですから。望みが途切れてしまった時でさえ、神様がそこにいてくださることを信じる選択をしなければなりません。希望は約束自体にあるのではなく、約束を果たしてくださる方にあるのです。神様はすべての希望に対する希望です。 神様は私たちの唯一の希望です。

§ アブラハムは、およそ百歳になり、自分のからだがすでに死んだも同然であること、またサラの胎が死んでいることを認めても、その信仰は弱まりませんでした。 信仰とは、私たちの状況に希望があるのではなく、希望を与える者に希望があることを認めることです。アブラハムはその置かれた状況によって信仰を弱めることはありませんでした。むしろ、それに希望をより強く持つようになりました。

§ アブラハムは不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰したのです。私にはすべてのことがらにおいて選択肢があります。神様の約束を選ぶのか、それとも不信仰に留まるのか。神様の約束や言葉は、神様ご自身と同じくらい良いものです。 神様はすると言われたたことは必ずなさいます。

§ アブラハムは、神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。これは信仰の旅路にとても大切なことです。問題は、神様が私たちに約束してくれたことを果たす力があるかを、私たちが信じているかというところです。アブラハムは単に疑わなかっただけでなく、神様がそのみことばを実現することができるということを、確信を持って疑わなかったのです。

§ アブラハムには、それが義と認められたのです。なぜなら、アブラハムは、神には約束したことを実行する力があると確信していたからです。アブラハムに義が認められたのはアブラハムだけのものではありませんでした、それは、私たちの主であるイエス様を死からよみがえらせた神様を信じる全ての人たちを義と認めることになったのです。信仰を通じて約束されたアブラハムのこれら全ての約束は私たちのものでもあるのです。

適用:

私の人生における神様の約束のすべてを成就させる神様の力を確信することを、あらためて思い起こされたことで、私は大きな祝福を受けました。真実は、神様が私を祝福してくださるというそのご計画を私は知るよしもありません。私に対する神様のご計画と約束を知っているのは神様だけです。しかし、私は人生で直面するすべてのことにおいて、神様を信頼しなければなりません。アブラハムのように信仰を働かせていきます。アブラハムは、望み得ない時に望みを抱いて信じ、信仰を弱めることなく、疑いにも揺らぐことなく、神様が自分の理解をはるかに超えたことをなさることができると完全に確信していました。

祈り:

父なる神様、私がかつて経験したことのない方法で、あなたを信頼し、信じることができるようにしてください。 あなたにはみことばを実行する力があることを十分に確信できるよう、私に思い出させてくださりあり感謝します。アブラハムのように、望み得ない時に望みを抱いて信じる信仰を持つことができるように教えてください。どうか、私が人生の試練の中であっても決して信仰を弱めることなく、揺らぐことなく、私の人生にあなたがみわざを成してくださるあなたの力を確信することができますように。 アーメン!