愛は言葉より深い

聖句:

9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。

10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。

11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。

13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。

14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。

15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。

16 互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。

17 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。

18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

20 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。

21 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

(ローマ人への手紙 12:9—21)

観察:

愛を感情や気持ちの表れとして考えている人がなんと多いことでしょう。しかし、愛とは感情や気持ち以上のものです。愛とは選択です。愛は人の品性について。愛とは行動です。 パウロはローマの信者たちに愛がどのような働きをするのかを明確に説明しています。愛には偽りがあってはならない。愛はうわべだけのものであってはならない。愛は本物でなければならない。悪を憎み、善に親しむべき。

愛は他の人を尊び敬います。愛は行動が伴う言葉です。正直、私たちが困難やチャレンジの中にいるとき、人を愛することはとても難しいです。パウロはこう言います。勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。 私たちは、望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励むべきだと。

愛の表現は行動の中で見ることができます。信者としては人をもてなすように求められています。愛は私たちを迫害する人たちを祝福します。これは難しいことです。私としてはこれと真逆のことをしたくなります。愛するかわりに呪いたくなります。愛は、喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きます。愛は常に、人と調和を保つことを求めています。これが愛の概念として表される行動のパッケージです。

パウロはまた、愛とは正反対の愛の「してはならないこと」を次のようにいくつか挙げています。

§ たかぶらない

§ 自惚れない

§ 悪を悪でもって返さない

§ 復讐してはいけない

§ 悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

愛は、善を愛することと、人の目には正しく思えることのどちらかを選ぶ選択です。愛は、他の人との関係におけるチャレンジで、神様にとってのベストを求めます。愛があれば、神様は私たちと意見の合わない人たちにも対処してくださいます。私たちは人に復讐する必要はなりません。それは復讐するのは神様の責任なのです。

愛は、単に愛情に満ちた響きを与えるために人々が投げかける言葉ではなく、もっと深い意味を持っています。愛は言葉の中にあるのではなく、人の行動となって現れるものです。愛という言葉を言うのは簡単ですが、それを行動に移すのはとても難しいことだと思います。

適用:

愛が何をするのか、何をしないのかを教えられました。これは、信者として私のイエス様との旅路においてとてもチャレンジングなテーマです。私が直面する人間関係のチャレンジに対する神様の解決を求め、どうすれば人を愛することができるのかを、私に教え導く神様の聖霊にゆだねていきたいと思います。ここでパウロがローマの信者たちに語った思いを、あらゆる機会をとらえて実践していきたいです。 イエス様が私を愛してくださったように、私も人を愛せる人になりたいと思います。

祈り:

天のお父様、本当の愛とは何かを理解するため、私の目を開けてくださり感謝します。私は、時々、あなたのみことばが私に教えてくれているように愛を表現できていませんでした。どうかあなたが愛するように人を愛することができるよう、私を助けてください。どうか、人生において、ある事柄で意見を異にする相手をどう愛することができるのか私に教えてください。しかるべくあなたの愛を生き、あなたの愛によって私が満たされるよう、あなたを仰ぎ見ます。あなたのように人を愛する心を私に与えてください。これらのことをイエス様のみ名によって祈ります。アーメン!