キリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえにすべてを失うということ

聖句:

7 しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。

8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、

9 キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。

10 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、

11 どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。

12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。

13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、

14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

(ピリピ 3:7—14)

観察:

使徒パウロはキリストの力によって完全に変えられてしまいました。彼の人生はキリストを憎む人間から、イエス様に従い、そのためには熱い思いですべてを捧げる覚悟を持った人間へと180度転換したのです。パウロの以前の人生には得るものが多くありました。名声と地位にあった人間でした。 しかし、キリストとの出会いが、彼の人生を変えたのです。パウロは、こう言っています。「私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。」

パウロの人生は、その人生を変えるほどの信仰の力の証です。彼がキリストと出会う前、忠実に律法を守ることで得られる義と自らの地位に誇りを持っていました。しかしながら、キリストを知っていることのすばらしいさのゆえに、試練を受け、彼の人生のすべての景色が一変しました。 私たちのキリストの知識が深くなっていく時、すべてを手放さなければならない瞬間が人生で訪れます。私たちの救いは、律法を守るという行為によって手に入るものではありません。救いは神様からのギフトです。もし私たちが、この世の成功や地位を後生大事に守り続けているとしたら、それは、私たちが本当の意味でキリストの知識のうちに成長していないことの兆候です。

パウロは、彼の義は律法を守ることで得られたのではない。キリストへの信仰によるものである、と言っています。キリストを知ることができるようになった今、これまで得としていたものを損だったと呼んでいます。パウロのキリストを知りたいというパッションは、単に彼の頭の中にある願望や思いではありませんでした。パウロは、キリストを知ったことのすばらしさを持続させるために必要なことを次のようにリストアップしています。

· 「キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることを知って、キリストの死と同じ状態」になりたい

· 「 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。」信者の人生におけるチャレンジングな態度の一つに、成長することをやめ、学ぶこともやめてしまうことがあります。信者たちはすでにある程度わかったとたかを括り、キリストにある人生に関することに主体的に関わり、学びを得ようというこころの飢え乾きが湧いて来なくなっているのです。私たちには、もう大体全部わかったという感覚を持ってしまう傾向があります。

· 「ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。」 パウロは、「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。」と言っています。私たちは、すべて分かったと思った瞬間に、学びをやめてしまいます。クリスチャンの人生にはパウロの言っていることを達成するということは ありません。

· 「ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」

適用:

今日私は、パウロの言葉に励まされました。私のうちにあるキリストの知識に抗うものをを忘れる必要があることを思い起きさせてくれました。私は、ひたむきに前のものに向かって進んで行く必要があります。ひたむきという言葉は、クリスチャンの人生というのは、常にキリストが私を召されたゴールに向かって前進して行くこちだと、私にそれを理解させてくれました。私は日々このことをし続けて行きます。

祈り:

イエス様、私にしてほしいと呼ばわれていること、私がなぜこの素晴らしい国にいるように召されているのか、それらの目的を達成するためにひたむきに前に進み続けることを私に教えてください。私の人生に中のあなたの知識に敵対するようなものを私が取り除くことができるよう助けてください。独りよがりの義ではなく、あなたの義のうちに歩むことを私に教えてください。 自分なりの達成感を捨て、あなたがどんなお方であるのかを知るというすばらしゴールに向かって前進していくことを私に教えてください。アーメン!