尊敬に値する人

「奴隷としてくびきの下にある人はみな、自分の主人をあらゆる面で尊敬に値する人と思わなければなりません。神の御名と教えが悪く言われないようにするためです。」(テモテへの手紙 第一 6:1)

自分の主人をあらゆる面で尊敬に値する人と思うことはできるだろうか?子どもの時は自分の親、社会にでれば自分の上司、様々なグループでは自分のリーダーたちである。もしかしたらリーダーがブラックだったり、パワハラをする人だったり、自分のことを評価してくれない人だったりするかもしれない。そんな時は、とても尊敬に値する人だとは思えないだろう。

しかし私たちの考え方を変え、どんな主人であっても、あらゆる面で尊敬に値する人と捉えるなら、私たちの行動が変えられる。自分によくしてくれる人にはよくする、というリアクションは誰にでもできる。(必ずしも同じ熱量で伝わるとは限らないが〜)  しかし私たちが自分に対して酷いことをする人、またはそう捉えた人に親切に愛をもって接するためには信仰や勇気がいる。

私たちが主を信頼して愛に生きるとき、私たちの周りにいる人たちは、私たちの信仰に感銘し、神の御名をほめたたえ、また神の教えの素晴らしさを感じるであろう。

自分の主人をあらゆる面で尊敬に値する人と考え、行動できるように主に祈りたい。

愛する天のお父様、あなたの御名があがめられますように。私たちに必要な忍耐と大きな愛をお与えください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。