子たる者よ。父たる者よ。

「子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。 「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、 「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。 父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。」(エペソ人への手紙 6:1-4)

私は幼少期、児童期、思春期を経て成人し、親となったので、子どもの気持ちも親の気持ちもわかるような気がするが、正直子どもの気持ちや他人の気持ちに疎くなってしまっているのも確かだ。

子どもの時は、主にあって両親に従うことの大切さを、クリスチャンである両親から教えられてきた。父と母とを敬うことで、私たちは幸福になり、地上でながく生きながらえるという主の約束を信じ従ってきたが、実際は時々反発し、様々なフラストレーションが様々な形で露出していたと思う。両親から受けた心の傷については、かつて悪戯などをしてお尻を叩かれたことが、思春期に父親が度を過ぎたと謝ってくれ、心に禍根を残すことはなかったのは感謝である。

私が父になって明日で18年になる。長男が18歳の誕生日を迎えるのだが、2年前に民法が改正されことで、成人年齢が20歳から18歳に引き下げられた。だから明日から長男は選挙権を持って社会参加できる。クレジットカードや携帯電話などを親の同意なしで契約できるし、取得できる資格や免許の幅が広がる。

自分が長男に対しての反省もある。子育てに厳しかったこともあり、自分の価値や主張を長男に押し付けたことで長男を怒らせてしまった。しかし、この聖書箇所を読んで子どもとしっかり和解することを示された。感謝なことに、今のところ、子どもたちとは蟠りがなさそうだ(と思っている)。

「主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。」という言葉は、愛をもってしなければ、子どもを傷つけることになる。子どもが傷ついたと言うなら、恐らく傷つけたのだろう。

厳しい世の中で厳しさを教えようとして厳しくするだけなら、子育てはうまくいかない。愛をもって接することの加減や言葉遣い、言い方、タイミングなどまだまだ学ぶべきことはたくさんある。

長男に対する子育ては、社会的にひと段落したのだが、まだ関係性は続くため、主から知恵をいただいて長男と関わっていきたい。

愛する天のお父様、どうか知恵と忍耐と愛をお与えください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。