罪の告白
「ダビデはナタンに言った、「わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。」(サムエル記下 12:13)
春になって、王たちが戦いに出るに及んで、ダビデはヨアブおよび自分と共にいる家来たち、並びにイスラエルの全軍をつかわした。彼らはアンモンの人々を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。
さて、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出て、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。 ダビデは人をつかわしてその女のことを探らせたが、ある人は言った、「これはエリアムの娘で、ヘテびとウリヤの妻バテシバではありませんか」。
そこでダビデは使者をつかわして、その女を連れてきた。女は彼の所にきて、彼はその女と寝た。(女は身の汚れを清めていたのである。)こうして女はその家に帰った。 女は妊娠したので、人をつかわしてダビデに告げて言った、「わたしは子をはらみました」。「
(サムエル記下 11:1-5)
ダビデは姦淫の罪を犯し、バテシバの夫を殺害した。主が預言者ナタンを遣わし、ダビデが犯した罪を指摘した時、ダビデは「わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。」
ダビデの罪は告白した時に取り除かれたが、妊娠した子どもの命を失うという体験をした。罪は赦されるが、蒔いた種の刈り取りは別である。ある時は何も見える形の刈り取りはないかもしれないし、ある時はすべてを失うことになるかもしれない。ダビデは自分の命を失っていてもおかしくない。
罪の赦しは告白によってすべての人に与えられるが、罪の刈り取りは神が決めることである。私たちは勝手に罪の取り扱いについて決めることはできない。
罪は赦されるのだから、罪は主の前に告白し、赦していただこうではないか!
愛する天のお父様、あなたの罪の赦しを感謝します。あなたの憐れみ無しに私たちは生きることはできません。どうか私たちを憐れんでください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。