主が油を注がれた者

「しかし後になって、ダビデはサウルの上着のすそを切ったことに、心の責めを感じた。 ダビデは従者たちに言った、「主が油を注がれたわが君に、わたしがこの事をするのを主は禁じられる。彼は主が油を注がれた者であるから、彼に敵して、わたしの手をのべるのは良くない」。 ダビデはこれらの言葉をもって従者たちを差し止め、サウルを撃つことを許さなかった。サウルは立って、ほら穴を去り、道を進んだ。」(サムエル記上‬ ‭24‬:‭5‬-‭7)

サウルは、ダビデの命を狙う敵であったが、ダビデはサウルのことを、主が油を注がれた特別な存在であったことを知っていた。だからサウルの上着のすそを切ったことに心の責めを感じたのである。

ダビデは、主が油を注がれた者がどのような人物であっても、手を伸ばしてはならない存在であることをわきまえていた。

主が油を注いでいない人物が誰かは主がご存知であることだが、いずれにせよ、主が油を注いでいないと決めつけて何をしても良いという訳ではない。

私たちは主の油注いだ人物、主が選んだ民、主が祝福されたものを自らの手で陥れたり、破壊したり、悪を行わないように気をつけたい。

愛する天のお父様、あなたの選んだ者、あなたが祝福した者を、私たちも祝福する者としてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。