ラビでありメシアであり

「イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。 そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。」(マタイによる福音書‬ ‭4‬:‭23‬-‭24)

イエスは、イスラエルの北部にあるガリラヤ地方を巡り歩いて、ユダヤ教の会堂で教えをした。ユダヤ人コミュニティの中心的な場所に出て行き、御国の福音を宣べ伝えた。

ユダヤ教の会堂で教える人はラビであり、イエスもユダヤ人たちに神の教えをしていたので、ラビと呼ばれた。

しかしイエスは他のラビとは大きく異なっていた。社会的地位を得ているためか、多くのラビは外側を一生懸命きれいにしたのだが、内側の汚れと放縦を放置していたため、イエスから偽善者と呼ばれた。私たち人間の姿は神に心から完全に従わないところがあり、私の内にも偽善的な部分がある。

またイエスと他のラビたちと大きく違うところは、イスラエルの民の中のあらゆる病気、あらゆる患いを癒されたことである。病気の人たち、貧しい人たち、社会的に問題のある人たちを蔑ろにせず、主を切に必要としている彼らのところに届いていった。

私たち人間には病気を癒す力はない。ただイエスの御名によって病んでいる人の上に手を置き、祈ることだけである。

イエスの噂はシリア全体に広まるほどであった。当時パレスチナではアラム語が日常一般に使われていたため、イエスも「タリタ・クム」(マルコ5:41)「エッファタ」(同7:34)「アッバ」(同14:36)「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(同15:34)などのアラム語を使い、イエスの話がアラム語圏に広まるのは用意に想像できる。

イエスは単なるラビではない。王や預言者や大祭司などが呼ばれていたメシヤとも呼ばれた。神の御子であるイエスは、私たちを罪から救い、神の子どもとしてくださる。

今日もイエスは私たちの心に生きておられ、私たちを助け、導いてくださる。

愛する天のお父様、私たちに救い主なる御子イエスをお与えくださり、ありがとうございます。あなたを信頼します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。