自分の思いをコントロールすること
聖句:”私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。 私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。 私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。 また、あなたがたの従順が完全になったとき、あらゆる不従順を罰する用意ができています。” コリント人への手紙 第二 10章3~6節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
観察:
イエス様は、「わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。」と言われました。同じことをパウロはここで言っています。パウロは、「私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。」と言います。戦争を思い浮かべる時、大量破壊兵器が頭に浮かびます。殺戮、コミュニティの崩壊。人の人生が奪われ、多くの人が傷を負います。民間人の被害は避けられません。
しかし、パウロは、私たちの戦争は世の中の人たちが戦いに使う武器を使って戦う戦いではないと言っています。私たちの戦いは、私たちのうちにある神様の知識に敵対するものとの戦いです。敵の姿は見えません。神様の知識という言葉は面白い言葉です。この言葉を聞いて、善悪の知識の木の実は食べてはいけないと神様に言われたアダムとイブの話を思い出します。
アダムとイブはサタンに騙され、その実を食べてしまいました。その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかったのです。そして、その時、彼らの目が開かれました。それ以来、私たちをしばしば罪と不従順へと導く人間の最大のチャレンジは、私たちの行動ではなく、その行動を起こさせる私たちの心にあります。
私たちの頭は、見て、聞いて、感じる情報の戦場です。良い情報も悪い情報も、色々な情報が蓄積されている場所、いわゆるデータセンターです。私たちの頭は、霊的で目には見えない、私たちの存在を構成するものであり、そこで私たちは、論理的思考をし、考えを整理し、それを元に行動するのです。パウロはそんな武器についてこう分析しています。
· 私たちの武器には、要塞を破壊するだけの神様の力がある。· 私たちの武器には、議論を打ち砕く神様の力がある。· 私たちの武器には、神様の知識に逆らうあらゆる高ぶりを打ち砕く神様の力がある。· 私たちの武器には、あらゆる思いを捕らえ、キリストに従わせる神様の力がある。· 私たちの武器には、神様に背くあらゆる不従順な行為を罰する神様の力がある。
要塞とは、私たちが真理を受け取ること、善悪を見分けることを妨げる否定的な固定概念という障害物です。論争は神様の真理と衝突する自分よがりの理屈です。高ぶりとは、自分を大きく見せることであり、嘘のとは、真実ではないことを主張することです。私の人生にもこれらのチャレンジが存在することは否定しません。時々、私は間違っていることを知りつつも、そのような固定概念に囚われてしまい、それが自分の思考の中の一部となってしまっています。そして、物事がどうしてそのようになっているのか、自分の中で議論をしていることがあります。
時には、自分のことを大きく見せようとします。今日、私は、自分の人生のそのような領域を捕まえ、キリストの知識に従わせることで、それらに対応していかなければならないということを学びました。私には、善と悪の知識のどちらかを選ぶ選択肢があります。この世の考え方と神様の知識とのどちらかの選択肢です。私たちの頭は常に善と悪を判断するための情報が存在するデータセンターです。ですから、私は自分の思いを日々新たにしていかなければならないのです。
適用: 私は自分の頭の中のものに人生を支配されないようにすることを選びます。
私は自分の頭の中を自分でコントロールする必要があります。さもなければ、様々な思いが私をコントロールすることになってしまいます。 神様の真理と自分の真理についての考え方を新たにし続けて行きます。私の思いの中でキリストを讃えます。イエス様の思いとは何かを、私が考えていけるよう、聖霊に私を導き、強めてもらうことを心に決意をします。
祈り: イエス様、私が私の思いを新たにしていけるよう私を助けてください。
私が様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえることができるよう、助けてください。どうか、あなたに栄光を帰す、正しい思いを持つことができるように。アーメン!