神様の豊な祝福は寛大に捧げる人たちと共にある

聖句:”私が伝えたいことは、こうです。わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。 一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。 神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。” コリント人への手紙 第二 9章6~8節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

観察:
使徒パウロはコリントの教会に忘れてはいけないことを思い起こさせようとしています。事の重要性から、覚えておくべき事柄はたくさんあります。そして、関連性の低さから忘れてしまわなければいけないことも多くあります。私は過去覚えておく価値のないことをずっと記憶に残しておく過ちを何度おかしてきたことでしょうか。また、人生でとても価値のあることを何度忘れて来てしまったことでしょうか。正直、数えきれないほどです。 
            パウロは、私が、クリスチャンとして、何かを夢中になってやる時、周りの大勢の人たちの心を揺さぶり、彼が行動し始めます。そして、これが、与える行為の領域が該当することです。 与えるという行為は私たちにとって新しいことではありません。私たちはいつも何かを与えています。買い物に行く時は、代金の支払いという形でお金をお店に与えています。自分自身には常に何かをあげようとしています。また、自分たちの価値観に合致した活動や運動にお金を寄付しています。しかし、私たちがそのように様々な与える行為をするとき、私たちは、神様のご計画や目的に対し、教会を通して捧げることについても忘れてはなりません。パウロは、与えること、捧げることについて、いくつかの原則を私たちに教えてくれています。·      どの程度与えるかによって、その報いが決まってきます。わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。このことは、この目にみえる世界でとても重要なことです。そして、それは、目に見えない霊的な世界でも同じように重要です。私たちが秤にかけたその量が、私にそのまま返ってきます。 寛容さと惜しみながら与えることの違いがここで強調されています。常に、受け取るよりも与える人への祝福の方がより多くあるのです。  ·      心で決めたものを与えること。与えるときは、心からするのでなければなりません。与える時は、与える前に目的と意図を持っていなければなりません。とっさに神様に捧げてはいけません。心の中で決めたこととは、神様が私に対していかによくしてくれてきたか、いかに全てにおいて私のために備えてくれていたかを考える時間を持つべきなのです。何も考えずに、とっさに捧げることは、

旧約聖書に出てくるカインのような捧げ方といえます。とりあえず、手元にあるものを神様に捧げようという態度です。神様になぜ捧げるのか、その目的をよく考えていません。捧げるということは、その大切さをよく考えるということでもあるのです。·      いやいや与えることはしない·     強いられて与えることはしない·      神様は喜んで与える人を愛されます。人が喜んで捧げるとき、その人の目にはある目的が見えています。それゆえに、その人はどのくらい捧げるかを決め、その物を用意します。そのような人は、捧げたもので神様が何をされるのかがわかっているのです。捧げたものによって人の人生が変えられていく、若い世代が起こされていく、そして、多くの人々が教会に集う神様の宮が用意されて行きます。とっさに捧げることは、自分たちが持っている物理的な所有物の永遠の価値を考えていません。 ·      神様の豊な祝風は、捧げる時、心の中で決め捧げ、神様の目的の価値を認める人たちと共にあります。神様は捧げる人たちの心の姿勢を見ておられます。時々いくら捧げるかは問題ではないという人がいます。 それは、とても聞こえがいいですね。しかし、投資という観点からこのことを見た場合、リターンがそれに関係してくることを考えてみましょう。私が、献金をちょっとだけにしたとしたら、神様が私のために用意してくれている、金銭的のみならず他の人生の分野においても、豊な祝福を得ることを期待すべきではないと思います。人間関係についても同じようなことがいえます。多くの時間を割いて人の話を聞いてあげたり、一緒にいてあげることは、後で、祝福や自分にとって益となることを刈り取ることにつながります。仕事でも、時間を犠牲にすることで、自分が望んでいる昇進や昇格が待っています。神様の祝福が、私たちの仕事に流れ、神様が私が受け取ることを意図されているものすべてを与えてくださいます。
適用:            正しい態度で捧げることについて今日学びました。私が受け取る祝福の数々は神様の優しさによるものです。ですから、今日、イエス様のことを祝福する与える人になって行きます。そして、喜んで与える人、それがお金であり時間であり才能であったり、イエス様の心にあるものをしていくために惜しみなく与えていく決心をしました。全てを喜びを持って行ってゆきます。 祈り:            イエス様、与える時の心の持ちようにつて教えてくださり感謝します。時々私は、物事をいやいやしたり、人からプレッシャーを感じでしてしまうことがあります。人を助けることができるよう、お金だけでなく、時間や才能、そして私が祝福されている他のことやものを与えていける人となることが、いかに重要なことか、私が常に思い起こしていけるよう助けてください。どうか、あなたに喜びをもってあなたから頂いたものの一部をお返しができるよう教えてください。あなたがされていることに自分の人生を投資して行きたいです。

私が与える人となれますように。私が正しい心で何かをするときにどれほどの祝福を私が受けとれるのか日々思い起こさせてください。あなたのみ名によって祈ります。アーメン!