兄弟と呼ばれる者たち
「私は前にあなたがたに送った手紙で、不品行な者たちと交際しないようにと書きました。それは、世の中の不品行な者、貪欲な者、略奪する者、偶像を礼拝する者と全然交際しないようにという意味ではありません。もしそうだとしたら、この世界から出て行かなければならないでしょう。私が書いたことのほんとの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。」(1コリント5:9-11)
兄弟と呼ばれる者とは、クリスチャンたちのことで、いわゆる教会で兄弟も姉妹と呼び合う信者たちである。
イエスを救い主と信じた者たちは神の愛を受け入れ、主を信頼して歩む者とされたのだが、主を信頼せず自分自身の欲望や他人の観心を得るために不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者として生きる者たちがいる。パウロはそのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけないと言った。
主を信頼しない生き方に、主を信頼して歩もうとしている私たちが合わせる必要があるだろうか?パウロはあえて主を信頼しない生き方をする者たちと、あえて親密な関係を持つ必要がないと言っている。
兄弟と呼ばれる者たち、つまりクリスチャンたちに求められていることは、主を愛し、隣人を愛し、結果として自分自身を愛することにつながる生き方ではなかろうか?
主を信じたのなら、主を信頼して歩みたい。
愛する天のお父様、あなたが私たちをあなたの家族に受け入れ、あなたと親しき関係においてくださり、ありがとうございます。あなたを愛し、あなたを信頼して歩むことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。