悔い改めが必要だとわかっているのであれば、それについて祈ることはやめること
タイトル: 悔い改めが必要だとわかっているのであれば、それについて祈ることはやめること
聖句: 10 主はヨシュアに仰せられた。「立て。あなたはどうしてそのようにひれ伏しているのか。 11 イスラエルは罪を犯した。現に、彼らは、わたしが彼らに命じたわたしの契約を破り、聖絶のものの中から取り、盗み、偽って、それを自分たちのものの中に入れさえした。 12 だから、イスラエル人は敵の前に立つことができず、敵に背を見せたのだ。彼らが聖絶のものとなったからである。あなたがたのうちから、その聖絶のものを一掃してしまわないなら、わたしはもはやあなたがたとともにはいない。 13 立て。民をきよめよ。そして言え。あなたがたは、あすのために身をきよめなさい。イスラエルの神、主がこう仰せられるからだ。『イスラエルよ。あなたのうちに、聖絶のものがある。あなたがたがその聖絶のものを、あなたがたのうちから除き去るまで、敵の前に立つことはできない。 (ヨシュア記 7:10—13)
観察: ヨシュアはアイにスパイを送り込みました。彼らはヨシュアのもとに帰って来てこう言いました。「民を全部行かせないでください。二、三千人ぐらいを上らせて、アイを打たせるといいでしょう。彼らはわずかなのですから、民を全部やって、骨折らせるようなことはしないでください。」 しかし、イスラエル軍は敗走を強いられます。その戦いで彼らは三十六人もの命を失うことになってしまいました。 ヨシュアは着物を裂き、イスラエルの長老たちといっしょに、主の箱の前で、夕方まで地にひれ伏し、自分たちの頭にちりをかぶったのでした。
イスラエル軍が戦いに敗れてしまったのには訳がありました。それは、イスラエル軍の中に罪を犯した者がいたからです。聖絶のものの中から取り、盗み、偽って、それを自分たちのものの中に入れてしまったのです。たった一人の人が犯した罪のために、罪のない人たちにまで、その影響が及んでしまったというのは不幸なことです。
隠し通せる罪などというのは存在しません。罪を犯した人は自分が密かに犯した罪によって他人が傷つくことがあるとは考えません。しかしながら、これほど真理から遠いものはありません。 密かに犯した罪は必ず表面化してきます。聖絶のものを盗んだ人は、よもや誰かにそのことがバレてしまうとは夢にも思っていません。そのことによって、イスラエルの国が辱めにあい、戦いにも敗れ、その結果三十六人もの兵士が殺されてしまいました。
ヨシュアは主の箱の前で夕方までちにひれ伏していました。この状況について祈っていたのです。ここから私が教訓は、常識をもってすれば分かりきったことを祈る必要はありません。祈りには時があるます。多くの場合、問題は、どうしたら良いかわかっていながら、そのことについて祈り続けていることにあります。
全てのことについて、私たちは祈らなければならないとありますが、どうしたらよいかがわかっているなら祈るのではなく行動に移さなければならないのです。神様はヨシュアに助け舟を出します。祈り続けていないで、行動しろと。この聖書箇所から学ぶ原則は次のようなことです。
· 立て。あなたはどうしてそのようにひれ伏しているのか。イスラエルは罪をおかし、神様の命令を破ってしまいました。後に、罪をおかした一人の人間が炙り出されます。しかし、神様はイスラエルの国全体が罪をおかしたと言っています。エリコでの輝かしい勝利の後、イスラエルの民は、エリコよりも小さなアイという国との戦いに屈辱的な敗戦を喫します。ここでの原則は、悔い改めが必要と知っているのであれば、祈ることをやめ、すべきである正しいことをしなければならないのです。· 罪の中に生きることを選択していると、自分の敵に向かって勝つことはできません。人生の中で聖絶すべきもの、それがなんであれ、それを破壊しない限り、神様は私の戦いの中で一緒にいてくれません。· 自分自身を聖別し、神様が私のうちに働かれるために自分自身を備えなければなりません。聖別という意味は、自分自身を神様の目的のために他から切り離し、自分の人生を神様に捧げることを意味します。
適用:これらの原則は、神様の臨在が私のうちにとどまり続けるよう、私が神様のもとに戻ることを助けてくれます。私が罪の中に歩みながら、神様とともにいることを期待することは間違いです。自分の人生で罪を抱えたまま、神様のうちに成長はできません。 心の中で罪を隠し続けていては、罪に勝てることはあり得ません。神様に罪をおかすことのないよう、私がすべきことは心に神様のみことばを蓄えていなければならないのです。
祈り: イエス様、人生において罪を貪ることがないよう私を助けてください。私自身このことが自分の課題となっています。私は、あなたとの歩みの中で罪が入り込んでしまうのを許してしまっていることがあります。どうしたら私があなたの目的とあなたご自身のために聖別されきよい人生を送ることができるのか、私に教えてください。 どうか、私が自分の罪をことを祈り続けることなく、すべき正しいことをすることができるよう私を助けてください。きよく、聖なる人生であなたと共に歩んでいくことを切望します。自分が罪を悔い改めることを知っているにも関わらず、まだ、罪を人生の中にとどまることを許してしまっている私を許してください。私を悔い改めへと導いてくれる、あなたの恵とやさしさに感謝します。日々、あなたに目を向けます。アーメン!