リーダー不在の場合

「民はモーセが山を下ることのおそいのを見て、アロンのもとに集まって彼に言った、「さあ、わたしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセはどうなったのかわからないからです」。 アロンは彼らに言った、「あなたがたの妻、むすこ、娘らの金の耳輪をはずしてわたしに持ってきなさい」。 そこで民は皆その金の耳輪をはずしてアロンのもとに持ってきた。 アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。(出エジプト記‬ ‭32‬:‭1‬-‭4‬)

リーダー不在による弊害について私たちはしらなくてはならない。モーセがシナイ山にいる間、民はモーセが山を下ることのおそいのを見て、アロンのもとに集まって彼に言った、「さあ、わたしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセはどうなったのかわからないからです。」と言った。

イスラエルの民は、モーセの不在中に頼れる何かを求め、偶像を造るようにとモーセの兄であり、同じリーダーシップチームのアロンに迫った。すると、アロンは彼らに「あなたがたの妻、むすこ、娘らの金の耳輪をはずしてわたしに持ってきなさい」と言ったのである。

民は皆その金の耳輪をはずしてアロンのもとに持ってきた。 アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」と言ったのである。

アロンは生きておられる神を知っていたのに、金で造った牛を神としてイスラエルの民に与えてしまった。自分も不安に感じたのか、民の不平不満を鎮めるためだったのか?イスラエルの民は、モーセという導き手がいたから神につながることができていたのか?

一人でいるよりも、独りで戦うよりも、良い導き手、共に立つ者の存在は心強い。私たち自身が良きリーダーとして立ち、あるいは支える存在感として人々が路頭に迷い、混乱しないように力となれたら素晴らしい。

愛する天のお父様、どうか良いリーダーに見習い、私たちも良いリーダーとなることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。