あなたの人生で出会うトラブルメーカーに注意

聖句:”さて、ステパノは恵みと力に満ち、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた。 ところが、リベルテンと呼ばれる会堂に属する人々、クレネ人、アレクサンドリア人、またキリキアやアジアから来た人々が立ち上がって、ステパノと議論した。 しかし、彼が語るときの知恵と御霊に対抗することはできなかった。 そこで、彼らはある人たちをそそのかして、「私たちは、彼がモーセと神を冒瀆することばを語るのを聞いた」と言わせた。 また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、ステパノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。 そして偽りの証人たちを立てて言わせた。「この人は、この聖なる所と律法に逆らうことばを語るのをやめません。 『あのナザレ人イエスは、この聖なる所を壊し、モーセが私たちに伝えた慣習を変える』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」 最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。” 使徒の働き 6章8~15節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

観察:
           使徒たちが祈りと神のみことばの奉仕に専念できるよう、食卓のことに仕えるためのリーダーの一員として、ステパノは選ばれていました。やもめへの配給や信者たちの食べ物についての運営の経験があったから彼が選ばれた訳ではありません。リーダーとしての資質について、彼には経歴書以上のものがあったのです。牧会において、リーダーを選ぶとき、その人の経歴は参考にはなりますが、それだけがリーダーを選ぶときの決め手になるわけではありません。 ステパノはその資質を認められてリーダーとなったのです。ステパノも含めた七人が選ばれましたが、使徒たちは、その理由について、彼らが御霊に満ちていたこと。二つ目の理由として知恵にも満ちていたことを挙げています。
           神様のしもべとなるための条件は、紙に書かれた資格で選ばれるのではありません。本当に大切なことは、その人たちが御霊と知恵に満たされているかどうかにあります。
            しかし、御霊と知恵に満たされていた人でも、彼らに敵対する輩が現れ、その人たちの働きを邪魔しようとしてきます。牧会やミニストリーというのは、特にリーダーたちにとっては、他の人からの

チャレンジや妨害が数えきれないほどやってくるものです。牧師やミニストリーリーダーや他のリーダーシップのポジションにいる場合、私たちに敵対する人たちに気をつけていなければいけません。             まず、私たちは敵意がどんな性質のものなのかを理解しなければなりません。問題が発生するときに、人々は反発します。自分たちの意見が聞き入れられていない時に、人々は不満を言いリーダーたちにたてついてきます。自分たちの思う通りにならない時に、人々は反対運動を展開します。反対する理由にも正当なものも存在します。また、ある人が問題に関して解決するための決め方についての反対する人たちの言い分にももっともなものもあります。             しかし、リーダーシップのポジションにいる人たちへの妨害が悪巧みに発展することもしばしば見受けられます。ステパノはありもしない虚偽の証言によって貶められます。ステパノに敵対する人たちについて興味深いことが書かれています。それは、ギリシャ語を使うユダヤ人からではなく、リベルテンの会堂に属する人たちからのものでした。時として、敵意は、最初に不平不満を呟いていた人たちからではなく、全くそれとは関係のない人たちから来ることがあります。 
            反対する人たちの中には本当のトラブルメーカーがいます。妨害は、当然、何かに反対し、敵対する人たちからのものです。  ·      敵意は議論に負けたことからうまれる·      敵意は見えないところで増幅する。秘密の会議で他の人を仲間に引き込む·      敵対する人たちは、人を煽動する·     敵意を持った人たちは、偽り証言をたたせる
今日私は、意見が違うことで敵対しようとする人の心を識別することの大切さを学びました。リベルテンの会堂に属する人たちのステパノへの訴えはステパノの評判をできる限り貶めようとするものでした。ステパノを亡き者としようとする意図があらわになっていきます。最高法院にいた人たちはステパノの違った姿を目にしました。「最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。」
           最高法院の人たちが見たステパノの姿と訴えを起こした人たちが見たステパノが違って見えていたというのは面白い話です。  

最高法院で席に着いていた人々はステパノに目を注ぎます。そして、彼の目にはステパノの顔が御使のように光り輝いて見えたのです。訴えた事実と、自分たちが見たこととのギャップを識別することは常に大切なことです。自分の目で見ることなく、物事をすぐに結論づけてしまうべきではありません。 適用:            自分と意見を異にする人について、他の人からその人への非難の言葉をまともに受け取らないように気をつけることを学びました。ある人についてでっち上げられた訴えで人の人生が潰されてしまうことがあります。

最高法院の人たちが見たように、自分で問題をしっかりと見据えることで、人から押し付けられずに出す結論や意見に辿り着くことができるようになりたいと思います。
祈り:            イエス様、人の人生を潰すことにつながる問題に対し敵対し訴えてくる人たちの声に耳を貸すのではなく、自分で状況を見極める目を私は求めます。私があなたの真理に敵対し非難する人たちの心を見極めることができるよう私を教えてください。どうか、人を潰そうという思いをもって、決して人に敵対し、訴えを起こすことがないよう私を助けてください。 あなたの真理をはっきりと見ることができるよう私を助けてください。そして、他の人の人生を大事にする人となれるよう私を助けてください。アーメン!