神のものは神に返す

「そこで、彼らは機会をうかがい、義人を装うまわし者どもを送って、イエスを総督の支配と権威とに引き渡すため、その言葉じりを捕えさせようとした。」(‭‭ルカによる福音書‬ ‭20‬:‭19‬)

私たちの周りには、私たちの言葉じりを捕らえて失脚させようとする人や勢力がいるものだ。ゼロから論じるよりも、失言を捕らえて攻撃し、貶める方が遥かに簡単だからだ。

律法学者や祭司長と言われている人たちは、イエスに尋ねて言った、「先生、わたしたちは、あなたの語り教えられることが正しく、また、あなたは分け隔てをなさらず、真理に基いて神の道を教えておられることを、承知しています。 ところで、カイザルに貢を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」。 

イエスは彼らの悪巧みを見破って言われた、 「デナリを見せなさい。それにあるのは、だれの肖像、だれの記号なのか」。「カイザルのです」と、彼らが答えた。 

するとイエスは彼らに言われた、「それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。 そこで彼らは、民衆の前でイエスの言葉じりを捕えることができず、その答えに驚嘆して、黙ってしまった。

‭‭(ルカによる福音書‬ ‭20‬:‭21‬-‭26‬)

カイザルに貢を納めるとは、税金をローマ帝国の皇帝カイザルに納めることである。当時のイスラエルを支配していたローマ帝国に納税する律法にかなっているのか、そうではないのかという、二者択一の質問を持ち出した。

もしイエスが、「税金をカイザルに納めることは、律法にかなっている。」と言ったら、ユダヤの民は、ローマ帝国の支配と納税に大きな不満を持っていたので、民衆は黙っておらず、イエスに反発してイエスのもとを離れたに違いない。

しかし「税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていない」と言ったら、ローマ政府への反逆罪としてみなされてしまう。

この問いに対して、イエスは「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい」と答えられ、この世における義務は義務として果たしつつ、神によって造られた者として、神に返すべきものは返すように言われた。

私たちはあらゆるところで恩恵を受け、与えられていることを忘れてはならない。得ることばかり考えるのは淺ましい。

私たちは与えるなら与えられるという原則を忘れないようにしたい。

愛する天のお父様、あなたに私たちの人生をささげます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。