神様が治める2024年聖句:
“はじめに神が天と地を創造された。 地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。 神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。 神は仰せられた。「大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ。」 神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。すると、そのようになった。 神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。” 創世記 1章1~8節
観察:
全ての始まりでは、誰もが、物事がどう展開していくのか知るよしもありません。結局のところ、2024年もまだ私は牧師を続けています。私自身、将来を展望しながら、私の頭の中は混迷し、浮ついているような時があります。今日のデボーションの箇所を読むながら、神様は被造物の全ての源であり、創造主であられるものの、自分の頭の中や心が、地球のはじめの
ようには茫漠として何もなく、2024年という年がどんな年になるのか不安になってしまっています。
神様はご自分が何をなさっておられるのかもちろんよくご存知です。一方で、私は、その神様のなさっていることに信頼をおく必要があります。神様のなさろうとしていることの意味がよくわからなくても、今日ある自分も神様が造られた被造物の一員であることを信じなければならないのです。神様は日々私の人生において新しいことをされようとしています。そして、その神様はそのことを完遂できるお方です。私の人生が混沌としていて、起きていることの意味がわからなくても、神様の御霊は私の人生の上を動いています。 神様は、私の人生の混迷、茫漠、空虚、そして暗闇を完全に掌握されています。事実、神様は、私の人生において、創造のみわざを完成させていません。神様は依然として私と共に働かれています。神様は、行動される神様です。今日のデボーションの箇所に関して、次のことばの数々が印象的です。神が創造された。神が仰られた。神が名付けられた。
神は見られた。神が造られた。神が動かれた。神が置かれた。神はそれを見てよしと見られた。これらの言葉から、私は、神様は、茫漠で空虚のように思われる中にあっても、全ての中におられるという意識を私に与えてくれているように感じます。
また、もう一つの私の確信は、神様がそうなるようにと言われた全ての言葉の後に続くフレーズです。「
夕があり、朝があった。」「…天の詩の水はひとつの所に集まれ。乾いた所が現れよ。」神様が語り、動かれる時、何かが起きます。もう一つ、神様が語られたことに続くフレーズがあります。「するとそのようになった。」この2024年の年を迎えるにあたって、なんと素晴らしい確信を与えてくれる言葉でしょう。 神様が私の人生の上に語られることは、実際、そのようになると、私は確信しました。 神様は全てを治められておられます。神様は、私の人生の中で、そのみわざを続けられています。まだ終わってはいません。私の中で新しいことを創造し続けておられます。神様の御霊がみ父の御心そして私の人生へのご計画の上で動き続けてくれています。その御霊のイメージは、鳥が羽ばたいてあるところの上で止まっている状態です。これが神様の御霊がされていることです。そして、私の人生で、し続けてくれることです。神様の御霊は私の人生の中で神様のみわざを遂行するため、私の人生をしっかりと見守ってくれています。
適用: 神様の御霊が2024年の私の人生において神様のみわざとご計画を遂行し続けてくれることを確信しています。私のうちに、キリストのみわざが見て取れるよう、聖霊と協力していきたいと思います。2024年も神様が中心となり、私がまだ知らない、わからないこと全てを治めていてくれることを確信しています。神様は、ご自身の目的に向けて、私を導くことのできるお方です。暗闇や空虚が私の人生を支配しようとすることに、神様は、光をあて、答えを与え、悟りをくださいます。 祈り: イエス様、この新しい年の始めを感謝します。 あなたは私を導くみことばを語ってくださいました。私が全てを完全に理解していない中でも、私の人生の中にあるあなたのご計画や目的を全てコントロールされておられることの確証を私に与えてくださいました。あなたがいつも働かれていることを思い起こさせてくださり感謝します。そして、私の人生で私が理解できていないこともあなたが造られ、その中にあって聖霊が私をあなたの目的へと導いてくださっていることの気づきに感謝します。主よ、感謝します。2024年もあなたが治められる年となりますように。アーメン!