たましいの父による訓練

「肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。 すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」(‭‭ヘブル人への手紙‬ ‭12‬:‭10‬-‭11)

私たちは皆、人生において様々な訓練を必要としている。

私たちは幼い頃に、歩き方、食べ方、話し方、お風呂の入り方、歯の磨き方などの基本動作を覚える。それから他者との関わり方などの社会性スキルを身につける。さらに成長すると、目標設定、道筋設定、計画実行、そのために必要な感情コントロールや時間管理などの認知、行動機能である実行機能を身につける。

さて私たち人間にとって最も簡単かつ最も厳しい訓練は、神を信じ信頼し続けることではなかろうか。

具体的には罪と訣別することだ。「いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走り抜く」‭(ヘブル人への手紙‬ ‭12‬:‭1‬)とある。

罪の問題は、実は簡単に解決できる。罪を告白し、救い主キリストを心に受け入れることで、罪はすべて赦され、神の子どもとなり、永遠の命を手にする。私たちの心が謙虚であれば、どんな幼子でも解決することは可能だ。

しかし実際には、私たちが心謙ることが、途轍もなく大きな壁として立ちはだかっている。多くの場合、私たちは自分自身の罪の問題と向き合うことを避ける。

罪から離れて生きることは、当座は喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。きよさの訓練は避けたいと考えるだろう。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に平安な義の実を結ばせるようになる。

私たちのたましいの父は、私たちひとりひとりが義の訓練を受けて、義の実を結ぶことを願っておられる。私たちも腐敗した実ではなく、香り豊かな義の実を結びたい。

愛する天のお父様、あなたを信頼します。どうかあなたが私たちのうちに義の実を結ばせてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。