彼を受け入れて欲しい
「そこで、もしわたしをあなたの信仰の友と思ってくれるなら、わたし同様に彼を受けいれてほしい。」(ピレモンへの手紙 1:17)
これはパウロがピレモンに宛てた手紙で、ピレモンには彼の奴隷で何かしらのトラブルを引き起こしたオネシモがいたが、このオネシモを「わたし同様に彼を受けいれてほしい」と懇願している。
「捕われの身で産んだわたしの子供オネシモについて、あなたにお願いする。 彼は以前は、あなたにとって無益な者であったが、今は、あなたにも、わたしにも、有益な者になった。」(ピレモンへの手紙 1:10-11)
オネシモはクリスチャンとなり、パウロにとって霊的な子どもとなった。そしてオネシモの人生は変えられたようである。かつて無益な者と呼ばられようなことをしたのであろうが、それは過去の話であって、現在は何かしら有益な者と呼ばれた。
またパウロは、どうやらかつてピレモンのことをお世話したようである。ピレモンには恩があることをしつつ、何とかオネシモに対する考え方を変え、助けてやって欲しいと言っている。
パウロは言った。「もし、彼があなたに何か不都合なことをしたか、あるいは、何か負債があれば、それをわたしの借りにしておいてほしい。 このパウロが手ずからしるす、わたしがそれを返済する。この際、あなたが、あなた自身をわたしに負うていることについては、何も言うまい。」(ピレモンへの手紙 1:18-19)
人間関係のゴタゴタは良くあることだ。私たちは壊れた関係をそのままに放置し、関係修復に努めようとしないことがある。
パウロはオネシモのことで、ピレモンが人間関係修復に向けて一役買った。「この際、あなたが、あなた自身をわたしに負うていることについては、何も言うまい。」と述べているところは恩着せがましく聞こえるが、オネシモを何としてでも助けたい、神の御国のために用いたいという強い気持ちが現れている。
私たちの周りには負債を負っている人がいる。経済的のみならず人間関係においてでもだ。また誰かのために負債を覚悟で臨まなければならない時もある。主イエスが私たちのために命を投げ出してくださったのは、何とかしてでも私たちが神によって救われ、受け入れられるためであった。
私たちのために自らを犠牲にして救いの道を作ってくださった方に感謝したい。
愛する天のお父様、あなたの愛を感謝します。私たちもあなたの愛に生きることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。