偏見なく不公平にならず

「わたしは、神とキリスト・イエスと選ばれた御使たちとの前で、おごそかにあなたに命じる。これらのことを偏見なしに守り、何事についても、不公平な仕方をしてはならない。 軽々しく人に手をおいてはならない。また、ほかの人の罪に加わってはいけない。自分をきよく守りなさい。」(‭‭テモテへの第一の手紙‬ ‭5‬:‭21‬-‭22‬)

これらのこととパウロが話しているのは、やもめの世話のことと、教会でよい指導をしている長老についてである。

教会は真にたよりのないやもめの世話に専念する役目を担っている。ただ女の信者が家にやもめを持っている場合には、自分でそのやもめの世話をし、教会のやっかいにならないようにと勧めた(‬5‬:‭16‬) 。やもめは古代中東社会において社会的にも経済的にも立場が弱かったため、教会が福祉的役割を担っていた。

これは現代の教会に与えられている、今も変わらない主からの使命である。各教会に与えられたビジョンに多少なりの違いがあるにせよ、今日の教会に与えられている主の使命を蔑ろにしたり、また疎かにしないようにと勧めている。

また、よい指導をしている長老、特に宣教と教えとのために労している長老は、「二倍の尊敬を受けるにふさわしい者」(テモテへの第一の手紙‬ ‭5‬:‭16‬-‭17‬)とパウロは言った。

教会内にいるやもめと長老は対照的な立場にいるが、これらの両者に対して、偏見なしに彼らに接し、彼らを守り、何事についても不公平な仕方をしないようにしたい。

私たちのもとに主はあらゆる方々を遣わされる。人々の魂の管理者として、あらゆる人々に主の愛を示したい。

愛する天のお父様、私が偏見なく、守るべきものを守り、何事についても不公平にならず、軽々しく人に手をおくことがなく、他の人の罪に加わらず、自分をきよく守ることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。