望み得ない時に望みを抱いて信じる

タイトル: 

望み得ない時に望みを抱いて信じる
聖句:”彼は望み得ない時に望みを抱いて信じ、「あなたの子孫は、このようになる」と言われていたとおり、多くの国民の父となりました。 彼は、およそ百歳になり、自分のからだがすでに死んだも同然であること、またサラの胎が死んでいることを認めても、その信仰は弱まりませんでした。 不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、 神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。 だからこそ、「彼には、それが義と認められた」のです。 しかし、「彼には、それが義と認められた」と書かれたのは、ただ彼のためだけでなく、 私たちのためでもあります。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです。 主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。” ローマ人への手紙 4章18~25節

観察:            パウロは、アブラハムが

望み得ない時に望みを抱いて信じたと言っています。 アブラハムの絶望的な状況で彼がどうそれに対応したのか、これがそこから私が受けとった教訓であり励ましです。 希望と信仰が手を携えていなければ、人生を生きることは不可能です。 アブラハムのように、望み得ない状況で

望みを抱くことを私は学ばなければなりません。 アブラハムは絶望的な状況に直面していました。 彼は息子を持つことを望んでいましたが、アブラハムもサラも高齢であったため、それは誰にも不可能なことでした。 アブラハムは100歳、サラの胎も死んだも同然でした。
            妻の胎がすでに閉じ、自分の年齢が100歳を超えていた、そんな老人がどうして子供を持つことができるでしょうか?アブラハムが将来に子孫を残す希望を持つには、あまりに難しい状況にありました。しかし、望みがかなわないように思える状況でも、その望みを捨てずに抱き続けるにはどうしたら良いか、いくつかアブラハムから学ぶことができます。アブラハムは

望み得ない時に望みを抱いて信じ、「あなたの子孫は、このようになる」と言われていたとおり、多くの国民の父となりました。
            どうしたら

望み得ない時に望みを抱いて信じられるのでしょう?- 絶望的な状況によって信仰を弱まらせない- 神様の約束に対する不信仰で揺るがさられてはいけない- 神様の約束が私の信仰が強める- 神様には約束されたことを成就する力があることを確信する- 神様の力を信じる信仰は、必ず報われる…
私は神様の約束のために一生懸命になる必要はありません。 私は神様の約束を自分の力で獲得しようとする必要はありません。 私はただ、神様が私の人生と私の置かれている状況の中で約束を果たしてくださることを信じるだけでいいのです。
適用:人生には絶望させられる状況がたくさんあります。 時には状況に圧倒され、神様が約束を果たされる方であることを忘れてしまうこともあります。 アブラハムのように、私は神様の約束に対する信仰が弱められたり、揺らがされたりしないことを学ばなければなりません。 私には不可能に思えても、神様には不可能ではないという事実を直視することを学ばなければならないのです。 私は神様の約束を信じ続け、神様は私が求め、夢見て、望んでいるすべてのことをはるかに超えて、それ以上のことをしてくださる方であるという希望にとどまります。 私は日々、神様を信頼していきます。
祈り:            父なる神様、私のすべての状況が不可能が思えても、あなたを信じていくことができるように私を助けてください。 信仰を弱めることなく、不信仰に揺らぐことのなかったアブラハムのように、私があなたのことばを信じることができるよう私を助けてください。私が人生で直面するすべての困難やチャレンジにあっても、あなたに信頼することを教えてください。 あなたには不可能はありません。ゆえに、そのあなたの約束を成就する力を信じることができるよう私を助けてください。 アーメン!