傷ついた友達を助けるとき、説教はやめること

聖句:”主がこれらのことばをヨブに語った後、主はテマン人エリファズに言われた。「わたしの怒りはあなたとあなたの二人の友に向かって燃える。あなたがたが、わたしのしもべヨブのように、わたしについて確かなことを語らなかったからだ。 今、あなたがたは雄牛七頭と雄羊七匹を取って、わたしのしもべヨブのところに行き、自分たちのために全焼のささげ物を献げよ。わたしのしもべヨブがあなたがたのために祈る。わたしは彼の願いを受け入れるので、あなたがたの愚行に報いるようなことはしない。あなたがたは、わたしのしもべヨブのように、わたしについて確かなことを語らなかったが。」 テマン人エリファズと、シュアハ人ビルダデと、ナアマ人ツォファルは行って、主が彼らに命じられたようにした。すると主はヨブの願いを受け入れられた。” ヨブ記 42章7~9節

観察:         ヨブの友達は苦しむヨブを助けようと善意で彼のところにやってきました。しかし、彼らは神様を代弁するような口調で、ヨブに説教を始めます。そして、ついには、彼らは神様からそのことで叱責されてしまう羽目になりました。時として、人は自分の友達や愛する人が苦悶しているのを見るとき、彼らを助けてあげようという善意を持ち、彼らのもとにやってきます。そのような尊い思いとは裏腹に、そのことが、苦しむ友にとってかえってあだになってしまう時があります。          そして、そのことで、問題がエスカレートし、互いに怒鳴り合いの大喧嘩になり、面と向かって互いに責め合う状況が生まれてしまいます。問題の本質を忘れ、人の善意そのものが新たな問題を引き起こしてしまうことがあるのです。
         ヨブの友達は、ヨブを慰める代わりに、ヨブに対して議論をけしかけ始めます。聖書の箇所を引き合いに、黙ってヨブのそばにいてあげればいいのに、ヨブに説教をし始めたのです。苦しんでいる人には、言葉よりもそこに黙って寄り添ってあげることが 最善の慰めになることが往々にしてあるのです。
         この時とばかりにヨブの友達は、ヨブの苦しみを説教の絶好の機会と捉えていたように思えます。その友達に対して神様は怒りをあらわにされました。彼らは神様についてあたかもすべてを知っているかの如く語っていました。しかし、神様は、「なたがたが、わたしのしもべヨブのように、わたしについて確かなことを語らなかったからだ。」と言われました。         私が今日この箇所から学んだことは、人に語りかける時に、決して知ったかぶりをする様な人間として人から見られてはいけないということ。傷ついている人に対して、聖書の言葉を使って説教をしない。そんな時は、口にチャックをして、その人に寄り添ってあげようという心を持ちつつ、その人の話に耳を傾けてあげること。        傷ついている人に対して聖書の言葉を持ち出すことは、痛みを伴う体験をしている人を助けるのに最善の方法とは言えません。時に、人の慰めになるには、沈黙が金となることも。        神様はヨブの友達を正します。そしてヨブに謝らせました。ヨブに彼らのために祈るようにと命じます。 新約聖書のヤコブ書には、聞くに早く、怒るに遅く、語るに遅く、という聖句があります。ヨブの様な状況に置かれた人には、自分の心に彼らに寄り添う気持ちがあるのか、それとも、彼らに聖書を持ち出して、説教をしようとしているのか、自分の心の態度を吟味する必要があると思います。        従って、まずは、聞くこと。そして、さらに耳を傾けて、もしかしたら、何も話さない方が良い時があることを学ばされます。苦しんでいるのは聖書にこう書いてあるからだと説教をするのではなく、彼らの口から出てくる言葉に耳を貸し、その人に寄り添ってあげなければならないのです。ヨブは彼の友達のために祈りました。そして、神様はその祈りを受け取ってくれました。 適用:         今日、私はこのことに耳を傾けていく必要を感じています。私は、人のことを聞く前に、喋ってしまう傾向があるからです。自分の家族に対して、また、聞いて欲しいと願っている人たちに対して、親身になって寄り添う心を自分の中に育んでいきたいと思いました。ヨブの話は、私の無神経な心に刺さると同時にとても良いみことばです。 そんな人間になれるよう、人のことに耳を貸すことを実践し、どう人と関わっていったら良いかを学び、彼らのいる場所で彼らに仕えていってあげたいと思います。祈り:           イエス様、人に対して、あなたを代弁し説教をするよりも、彼らのことを聞いてあげる方がよっぽどいいことを教えてくださり感謝します。どうしたら、大変な時にいる人たちに共感できる人になれるようになるのか私を教えてください。まずは、自分の家族に対してそれが実践できるように私を助けてください。あなたの優しさと愛を必要とする人たちに対するあなたの心と真理を私に教えてください。どうか、私にいつ語り、いつ口を閉ざすべきか、聖霊の声に敏感になれるよう私を助けてください。アーメン!