多くの困難を乗り越え、レースを完走し、任務を果たさなければならない

聖句: 21 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。 22 いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。 23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。 24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。 (使徒の働き 20:21—24 )
観察:           パウロのミニストリーの目的についてのメッセージは明確でした。 パウロは、ユダヤ人とギリシャ人の両方に対して、神に対しての悔い改めをすることで、神に立ち返り、主イエスへの信仰を持つようにとはっきりと主張しました。神様との関係を求める人たちにとって、悔い改めは極めて重要な要素です。罪人が神様との関係を持つようになるために必要で欠かせない二つの要素をパウロは分かちあってくれています。その一つは、悔い改めて神様のもとに立ち返ること。そして、二つ目は、罪人が主イエス・キリストに対する信仰を持つことです。
            このパウロは、ユダヤ人やギリシャ人に対して語ったメッセージのゆえに、困難や迫害を常に受ける羽目になったのです。パウロは、そんな困難な中でも、神様との関係を持つことの重要性を人々に説き、教えていました。そして、御霊に心を縛られ、パウロはエルサレムに行くことを皆に告げたのです。彼は、そこでどんなことが待ち受けているのか知るよしりません。クリスチャンの歩みの中で遭遇する困難の中には、私たちがイエス様に仕えることが人生におけるチャレンジとなってくることがあります。             パウロはここで、心を縛られて(強いられて)という言葉を使っています。 この言葉は、それに抗えないようなまでに、彼をエルサレムに行くように御霊がパウロの心を駆り立てていたことを語っています。私たちも、御霊が私たちの未知の道へと駆り立てられることがあります。私たちにはどのようにその旅路を歩めば良いか、その詳細を知らされることはありません。パウロは、そこで自分に何が起こるのか分からないと言っています。 
           人生は私たちに変化球を投げてくることがあります。そして、それが、私たちをこれまで歩んできた道から逸らせることも。自分たちに次にどう何が起こるのかを知ることの保証はどこにもありません。しかし、これから何が待っているのかを知っている神様の御霊の導きに信頼するよう心が縛られていくことになるのです。パウロは何が彼の身に起きるのか知りませんでした。 しかし、彼が知っていたことは、自分には牢屋と困難が待ち受けていることを御霊が彼に告げていたことです。
           私は、イエス様との人生の旅路において分からないことがどんなに多いことでしょうか。私は、 困難をあえて祈ったり、計画することはありません。これからの道にどんな紆余曲折があるか、私にはわかりません。私もパウロのように、どんな場合でも、聖霊の導きに自分を任せていきたいと思います。 そして、これから私を待ち受けているものがどんなものなのか詳しく分からなくても、聖霊に従っていきたいと思います。 
            パウロは、御霊が、なわめと苦しみが私を待っていると言っている、と語っています。これだけで、普通の人であれば、そこから逃げ出し、あえてエルサレムに行こうなどとは思いません。パウロはこう言ってこの箇所を締め括っています。「私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」「私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら…」           私たちには目的と召命があります。それは理解できない困難に直面した時でも成就されるべきものです。パウロは私に決して諦めない勇気を与えてくれています。聖霊によって駆られ、聖霊の導きに信頼を寄せるようにと教えられます。どんな困難に直面しようとも、私たちがどのようなことに召されているかを決して忘れてはいけないことを知るようにとパウロは私の心を開いてくれました。分からなくても、私たちが出会うチャレンジのために、自分たちのコーリングを捨ててはいけないのです。どんな困難でも、神様の目的に向かって進み続けなければなりません。 
適用:            どんな困難があっても従順でありたい。 何が起こっているのか理解できてもできなくても、聖霊の導きを信頼することを思い出させてくれたことに感謝です。 私は聖霊の導く方向に向かって信仰の一歩を踏み出し、聖霊によって未知の使命に導いてもらわなければなりません。 レースを完走し、イエス様が私に召された任務を完遂することについて教わりました。。
祈り:イエス様、私の人生におけるあなたの召命の真理に、私の目を再び開いてくださってありがとうございます。 あなたの目的に仕えるために私を呼んでくださったことを感謝します。 私の祈りは、私が必要な他のすべてを理解しているかどうかにかかわらず、私のあなたとの旅のあらゆる場面であなたが私を導いてくださることです。 どうか私が、あなたの聖霊の導きと、聖霊が私を導いておられる方向を信じることができますように。 私がレースを走り、あなたが私に召された任務を完遂できるように助けてください。 アーメン!