神様の優先順位
聖句:
“テオフィロ様。私は前の書で、イエスが行い始め、また教え始められたすべてのことについて書き記しました。 それは、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じた後、天に上げられた日までのことでした。 イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。 使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。 ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」 そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」 イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」” 使徒の働き 1章1~8節
観察:
聖書はテオフィロという人物について、ルカの福音書以外には多くは語っていません。テオフィロという名前は神に愛されている人という意味がありますが、それは同時に神の友という想いがそこには込められています。テオフィロが誰であれ、ルカは「私は前の書で、イエスが行い始め、また教え始められたすべてのことについて書き記しました。それは、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じた後、天に上げられた日までのことでした。 」と彼に宛てて書いています。ここで大切なことは、イエス様の弟子たちが聖霊によって命じられていたこと。そして、彼らがイエス様によって選ばれていたということです。
イエス様は弟子たちをお選びになりました。そして、聖霊が彼らに命じていました。イエス様に選ばれ、聖霊に導かれない限り、誰もイエス様に仕えることはできません。それは、私たちがイエス様に仕えるために、勝手に自分たちを弟子として選び、仕えるための条件を勝手につけたりすることはできません。弟子としてイエス様が私たちにして欲しいと願われていることは、全て聖霊によって私たちに与えれらるのです。
イエス様は使徒たちを選んだだけではありませんでした。数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示されました。弟子や、イエス様に従う者たちは、イエス様が生きておられるという確かな証拠を信じなければなりません。イエス様の復活を信じなければ、誰もイエス様に従うことはできません。ルカは、イエス様が「四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。」と記しています。
あるとき、イエス様は一緒にいた弟子たちにこう命じられました。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。 ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」興味深いのは、イエス様が言われていたのは神の御国のことだったにも関わらず、使徒や弟子たちの関心は、イスラエルの国の再興だったのです。
自分たちの国への思いを捨てきれずにいた弟子たちにとって、また、イエス様に選ばれたこれらの人たちにとっても、神の御国に思いを至らすことのできない現実に、いまだ課題は多くありました。私たち、イエス様の弟子たちすべてにとって、自分の王国について自分の思いをおいて生きるのか、それとも、神の御国に思いをおいて生きるのか、一人一人がそれぞれの選択をしています。神の御国はイスラエルだけに限りません。神の御国はイスラエルを超えたところにあるのです。神の御国はエルサレム、ユダヤ全土、そして地の果てまで広がっていました。
イエス様は私たちにイエス様のみこころをなすための力を与えてくださっています。イエス様は私たちをエルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしをその証人として任命しています。イエス様は私たちが何に関心を持っているかをよくご存知です。イエス様は弟子たちがイスラエルの国の再興について待ち望んでいることに対して責め立てたりしていません。イエス様が言っていることは、「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。」 神様はいつそれが起きるかよくご存知であって、弟子たちが気にかけるべきことは、神様が何にプライオリティをおいているかを知ることだったのです。
私たち、キリストの弟子たちが、神様のプライオリティを守る時、神様は私たちの関心事を神様のタイミングで必ずケアをしてくれます。聖霊の油注ぎは、私がしたいことのためにあるのではなく、神様がされようとすることのためにあるのです。聖霊は私に神様のプライオリティに従って優先順位をつけられます。そして、自分がやりたいことについては神様に信頼すべきなのです。神様は私のしたいことのために私に油を注いでくださっているのではありません。神様の召のために油を注いでくださっていることを忘れてはなりません。
適用:
自分がしたいことを神様にたのむのではなく、聖霊の導きに対する従順さのうちに私は歩む必要があります。幾度となく、自分の感じていることや優先順位に神様が無関心でいると感じ、多くの人が聖霊に従うことをやめてしまうのを見て学んできました。ですから、私は、神様のみこころをなすために私に日々油を注ぎ続けてもらえるよう、聖霊にそのことをお願いをしたいと思います。
祈り:
聖霊様、あなたの声に従えるよう、私を導いてください。あなたのプライオリティに優先順位を置けるように、そして、人生における全ての必要をあなたにゆだねることができるよう、どうか私を助けてください。天のお父様、あなたが私にして欲しいことをしていくため、私の人生の上にあなたの聖霊を注いでくださっているゆえ、あなたを仰ぎ見ます。アーメン!