権勢や能力によらず主の霊によって
「すると彼はわたしに言った、「ゼルバベルに、主がお告げになる言葉はこれです。万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。 大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前に平地となる。彼は『恵みあれ、これに恵みあれ』と呼ばわりながら、かしら石を引き出すであろう」。 主の言葉がわたしに臨んで言うには、 「ゼルバベルの手はこの宮の礎をすえた。彼の手はこれを完成する。その時あなたがたは万軍の主が、わたしをあなたがたにつかわされたことを知る。」(ゼカリヤ書 4:6-9)
ゼルバベルはバビロン捕囚によって荒廃したエルサレムの都に神殿を再建した指導者であった。神殿再建にあたりサマリヤ人から妨害を受けるなど様々な困難に直面した。
そんな中で預言者ゼカリヤに対して天の使いからゼルバベル宛ての言葉が与えられた。「万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。 大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前に平地となる。彼は『恵みあれ、これに恵みあれ』と呼ばわりながら、かしら石を引き出すであろう」。
山のように、どんなに大きく立ちはだかる困難も、ゼルバベルが立ち向かうのは権勢によらず、能力によらず、主の霊によってなされることであり、主に信頼するなら大いなる山が平地となるように、主がゼルバベルの手を通して宮の礎をすえ、完成させてくださるということだ。
その時、ゼルバベル自身は『恵みあれ、これに恵みあれ』と呼ばわりながら、礎を据えるのに要となる「かしら石」を引き出すことができ、イスラエルの民は万軍の主が天の御使いを彼らにつかわされたことを知るようになるという。なんと素晴らしい姿だろうか!
私たちの人生に主が礎を据えられる時、私たちは権勢や能力によるのではなく、主の霊によってなされることを肝に銘じたい。
愛する天のお父様、私たちはあなたの働きを権勢や自分の能力でやることはできません。あなたの霊によってなされますから、あなたに祈り、あなたの知恵と力をお与えください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。