祝福された人生

「すべて主をおそれ、主の道に歩む者はさいわいである。 あなたは自分の手の勤労の実を食べ、 幸福で、かつ安らかであろう。 あなたの妻は家の奥にいて 多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、 あなたの子供たちは食卓を囲んで オリブの若木のようである。 見よ、主をおそれる人は、このように祝福を得る。」(‭‭詩篇‬ ‭128‬:‭1‬-‭4‬)

祝福された人生の一つの姿は、自分の手の勤労の実を食べ、幸福で、かつ安らかであることだ。一日の長い時間を労働に費やし、対価として給料を手にし、ある程度の経済的祝福を得て、幸福感と安心感を味わうことができるのは祝福だ。労働は決して呪いではない。神の祝福の方法の一つである。会社員であれ、自営業であれ、何であれ、生活に必要な収入を得ることと同時に社会のニーズに対してサービスを提供することができる祝福であり、私たちの喜びではないか。

また私たちの妻は家の奥にいて多くの実を結ぶぶどうの木のようであることは祝福だ。夫をよく理解し、あらゆる面で支えてくれる妻の存在は大きい。安心して生活でき、体も心も休めることができる場所があるのは幸せである。物質的豊かさだけではなく、精神的豊かさ、霊的豊かさを妻と共に享受できるなら幸せだ。

そして子供たちが食卓を囲むのは、子どもたちも家族と一緒にいて、ただ食べるだけではなく、語らい、笑い、コミュニケーションの場となっていることを表す。子どもたちがオリブの若木のように生きる力が漲る姿は私たちにも力を与える。

祝福とか幸せは経済的な豊かさのみによって測ることはできない。私たちの関係性の豊かさや、心の豊かさによって測られるものではなかろうか?

私も祝福された人生を歩みたい。

愛する天のお父様、あなたの祝福を感謝します。あなたを愛し、家族を愛して歩むことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。