神の使者たちの声
「その先祖の神、主はその民と、すみかをあわれむがゆえに、しきりに、その使者を彼らにつかわされたが、 彼らが神の使者たちをあざけり、その言葉を軽んじ、その預言者たちをののしったので、主の怒りがその民に向かって起り、ついに救うことができないようになった。」(歴代誌下 36:15-16)
主はイスラエルの民に預言者エレミヤを始め、さまざまな使者を遣わしたが、イスラエルの民は自分たちの悪を悔い改めようとせず、彼らをあざけり、その言葉を軽んじ、ののしった。このことで主の怒りがその民に向かって起り、ついに救うことができないレベルに達したのである。
民の指導者である王たちについてこう言っている。「エホヤキムは王となった時二十五歳で、十一年の間エルサレムで世を治めた。彼はその神、主の前に悪を行った。 エホヤキンは王となった時八歳で、エルサレムで三月と十日の間、世を治め、主の前に悪を行った。 彼はその神、主の前に悪を行い、主の言葉を伝える預言者エレミヤの前に、身をひくくしなかった。 彼はまた、彼に神をさして誓わせたネブカデネザル王にもそむいた。彼は強情で、その心をかたくなにして、イスラエルの神、主に立ち返らなかった。 祭司のかしらたちおよび民らもまた、すべて異邦人のもろもろの憎むべき行為にならって、はなはだしく罪を犯し、主がエルサレムに聖別しておかれた主の宮を汚した。」(歴代誌下 36:5, 9, 12-14)
そこで、「時に、バビロンの王ネブカデネザルが彼の所に攻め上り、エホヤキムをバビロンに引いて行こうとして、かせにつながれ、エホヤキンは獄屋に入れられ、一生バビロンの王の前で食事をする身となり、ゼデキヤは目をえぐり取られ、足かせをかけられてバビロンへ連れて行かれた。 」(列王記下 25:7, 27-30)
主はカルデヤびとの王(バビロンの王ネブカデネザル)を彼らに攻めこさせられたので、彼はその聖所の家でつるぎをもって若者たちを殺し、若者をも、処女をも、老人をも、しらがの者をもあわれまなかった。主は彼らをことごとく彼の手に渡された。 彼は神の宮のもろもろの大小の器物、主の宮の貨財、王とそのつかさたちの貨財など、すべてこれをバビロンに携えて行き、 神の宮を焼き、エルサレムの城壁をくずし、そのうちの宮殿をことごとく火で焼き、そのうちの尊い器物をことごとくこわした。 彼はまたつるぎをのがれた者どもを、バビロンに捕えて行って、彼とその子らの家来となし、ペルシャの国の興るまで、そうして置いた。 これはエレミヤの口によって伝えられた主の言葉の成就するためであった。こうして国はついにその安息をうけた。(歴代誌下 36:6, 17-21)
主の声に聞き従わない結果は悲惨である。高慢な考え方をしていると屈辱を味わう。私たちに必要なことは、主の前に自分の罪を悔い改め、主に従って愛することだ。
恵みの時代において今日私たちは罪を犯しても主は私たちに忍耐を持って接し、悔い改めるように願っておられる。その声を無視したり、軽々しく扱うのではなく、主の声に従って生きるようにしたい。
愛する天のお父様、あなたの声に聞き従って歩むことができますように。あなたは憐れみ深く、私たちの罪を赦し、私たちを祝福に溢れる人生を歩むように願っておられます。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。