主が手を打ち鳴らす前に
「それゆえ見よ、あなたが得た不正の利の事、およびあなたのうちにある流血の事に対して、わたしは手を打ちならす。 わたしがあなたを攻める日には、あなたの勇気は、これに耐え得ようか。またあなたの手は強くあり得ようか。主なるわたしはこれを宣言し、これをなす。 わたしはあなたを、もろもろの国民のうちに散らし、国々の間にまき、そしてあなたから汚れを除く。 わたしはあなたによって、もろもろの国民の前に汚される。そしてあなたはわたしが主であることを知る」。」(エゼキエル書 22:13-16)
主はイスラエルが得た不正の利の事、また彼らのうちにある流血の事に対して、手を打ちならすと言われた。
主はイスラエルのうちにある不正に得た利益や、流血に関して黙ってはおられなかった。主は言われた。「わたしがあなたを攻める日には、あなたの勇気は、これに耐え得ようか。またあなたの手は強くあり得ようか。主なるわたしはこれを宣言し、これをなす。 」
主がイスラエルを、もろもろの国民のうちに散らし、国々の間にまき、そして彼らから汚れを除くと言われた通りのことが彼らに起きた。イスラエルの民は文字通り世界中に離散した。
離散が象徴するのはこれである。「わたしはあなたによって、もろもろの国民の前に汚される。そしてあなたはわたしが主であることを知る」
主は不正や流血を忌み嫌う。不正や流血に対して主は手を打ち鳴らされる。ホイッスルを鳴らすようなイメージかもしれない。不正や流血は私たち自身の心の中でも起こる。私たちの心の中に芽生え始めたら、すぐに主の前に正し、人を赦し愛することができるように聖霊に助けを求めたい。
愛する天のお父様、あなたは私たちがあなたの愛に根ざす義を行うことを願っておられます。私の心をあなたの愛で満たしてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。