神の子ども

「愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。」(ヨハネの手紙 第一 3:2,3)

私たちは神の子どもである。キリストが現れたときに、キリストに似た者になる。キリストは神の御子だから、私たちもキリストを信じるなら、神の子どもとなり、神の御子キリストに似た者になってゆく。

コリント人への手紙 第二 3:18には、「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」とある。

キリストに似た者となるとは、なんとも心強い。しかし主と同じかたちに姿を変えられていくとは、神の愛の大きさ、神の計画の壮大さを思わされる。

私たちは自分は何者かと問うが、自分がこうありたいと願っても、果たして本当にそれで良いのか分からず、心の中に迷いを生じさせる。しかし私たちの創造主が私たちは何者であるのかについて言うのならば、それほど確かなものはなく、私たちが悩むこともない。

主は私たちを主と似た者、主と同じかたちに姿を変えてくださる。

私たちがキリストをありのままに見る時、キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように自分を清くする、とあるから私も自分を罪の汚れの中に留めるのではなく、神のきよさを愛して歩みたい。

愛する天のお父様、私をあなたの子どもとしてくださり、キリストに似た者、同じかたちに姿を変えてくださり、ありがとうございます。私をきよめ、用いてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。