信じることの喜び
聖句:
“イエスは彼らに答えられた。「わたしは話したのに、あなたがたは信じません。わたしが父の名によって行うわざが、わたしについて証ししているのに、
あなたがたは信じません。あなたがたがわたしの羊の群れに属していないからです。
わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。
わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。
わたしの父がわたしに与えてくださった者は、すべてにまさって大切です。だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません。
わたしと父とは一つです。」
ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、再び石を取り上げた。
イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」
ユダヤ人たちはイエスに答えた。「あなたを石打ちにするのは良いわざのためではなく、冒瀆のためだ。あなたは人間でありながら、自分を神としているからだ。」”
ヨハネの福音書 10章25~33節
観察:
今日、未だ多くの人たちが、イエス様は決してご自身を神であると主張したり、言ってはいないと論じています。しかし、この箇所で、イエス様はご自身を神なるみ父と同列としています。それによって、イエス様のご自分が神であるという主張に信憑性はないとしようとする人たちからの、感情的な反応が巻き起こります。
イエス様は未信者たちに、ご自身がこれまでしてきたみわざを指し示します。彼らはイエス様の主張の裏付けとなる証左を求めますが、それがあったところで、彼らはイエス様を信じようとはしませんでした。不信仰は選択です。どんなに信憑性の高い証拠や証左があったとしても、信じようとしない選択をしたならば、目で見ることができる証左を目で見ることはできません。イエス様は何度もこの時代、目がある者も聞くことがなく、目があっても、見えていないと行っています。
私たちもまた、イエス様がしてくださった事をたくさん見るとき、同じように、それを信じようとしないという選択をしてしまう危険性があるのです。イエス様は、信じることを選択する人と、そうでない人との間に明確な境界線を引いています。
信じることを選択した人について、イエス様はこう言っています。
· 私の羊は、私の声を聞く
· 私は彼らのことを知っている
· 彼らは私に従う
· 私は彼らに永遠の命を授ける
· 彼らは決して滅びることはない
· 誰も彼らを私の手から奪うことはない
· み父が彼らを私に与えてくだっさた
· 誰もみ父のみ手から彼らを奪い去ることはない
· み父と私は一つである
パリサイ人たちは、イエス様とその羊との特別な関係についてのことリストについて理解することができません。彼らにとってこのリストのほとんどはどうでもいいことでした。しかし、最後の父と私は一つであるという言葉に彼らは反応します。
信じることを選択した人たちはイエス様の声に耳を傾けます。それは、イエス様に信頼する信仰の選択から始まることです。信仰とイエス様を固く信じることなしに、キリストの声は聞こえません。さらに言えば、私はキリストに知られている存在だということを、ここから思い起こされます。なんという特権、なんという祝福でしょう。イエス様が神様ではないと言う人たちにはこの視点が欠けています。ですから彼らは見ることも、聞くことも、知ることも、そして、イエス様に従うこともないのです。
さらに、私には、永遠の命が与えられているという知識の保証があるのです。それは、私は決して滅びることのないことを知るという自信。そしてイエス様とみ父が私にどんな災いからも永遠の安全を与えてくれていることへの信頼です。
これは、今日に至るまで私が握りしめてきた力に溢れたみことばです。神様の子として私を覆い、守ってくれるキリストの力に感謝します。しかし、残念なことに、信じていない人たちにはそうでないことにも気づかされます。不信仰はキリストがどんなお方であるかについて私たちの目を盲目にしてしまいます。そして、キリストを信じることを選ぶこと、またキリストを知る祝福を見ることができなくしてしまうのです。
適用:
私は、神の子であることの祝福を、自分の不信仰によって盲目にさせられることがどれほどあるでしょうか。 私は今日、イエス様との関係がどれほど力強く、イエス様との関係を持つことが本当に祝福に満ちたものであるかを教えられました。 私の心は、イエス様を日々見ながら、私の人生においてイエス様とはどのような方であるかを理解するために開かれていなければなりません。 不信仰は選択であり、信仰もまた選択です。 ですから、イエス様を見、イエス様を神として信頼することを選ぶ人のために、イエス様が私たちすべてに保証を与えてくださることを知っていることに感謝します。
祈り:
主よ、あなたが私たちをあなたの羊として見てくださり、また、どんなにその羊たちを大切にしてくださっておられるかを知ることは、なんという喜びでしょう。 イエス様、救いの賜物をありがとうございます。 あなたが私のためにしてくださったすべてのことについて、あなたを信じるという信仰の賜物をありがとうございます。 私を導いてくださるあなたの声に感謝します。 あなたが私を知り、永遠の命を与えてくださったことを感謝します。 あなたとみ父のうちにある永遠の安心に感謝します。 私は感謝し、今日、あなたに全幅の信頼を置きます。 アーメン!