暗い中を歩くとも

「たとえ暗い中を歩くとも」

「わたしを義とする者が近くおられる。 だれがわたしと争うだろうか、 われわれは共に立とう。 わたしのあだはだれか、 わたしの所へ近くこさせよ。 見よ、主なる神はわたしを助けられる。 だれがわたしを罪に定めるだろうか。 見よ、彼らは皆衣のようにふるび、 しみのために食いつくされる。 あなたがたのうち主を恐れ、 そのしもべの声に聞き従い、 暗い中を歩いて光を得なくても、なお主の名を頼み、 おのれの神にたよる者はだれか。」(イザヤ書‬ ‭50‬:‭8‬-‭10‬)

預言者イザヤは「わたしを義とする者」が近くにおられると言ったが、私たちを義としてくださる方は主なる神にである。主なる神が私たちと共におられ、共に立ってくださるのだから、誰も争うことはできない。主は私たちを助けてくださる。

私はイザヤが言ったように、主を恐れ、 主のしもべの声に聞き従い、 暗い中を歩いて光を得なくても、なお主の名を頼む者となりたい。

主は光である。この世は罪のゆえに暗闇に覆われている。たとえ私たちを取り巻く環境が暗闇であっても、私たちの心の中に光として輝かれる主の力強い御名、権威を持って歩みたい。

愛する天のお父様、あなたを信頼します。あなたは光です。主イエスキリストの御名によって、アーメン。