思いと心に書かれた律法
「わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。 すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。 こうして、わたしは彼らの神となり、 彼らはわたしの民となるであろう。」(ヘブル人への手紙 8:10)
律法は通常文字として書かれる。今ならデジタル、かつては紙、はるか昔はパピルスや羊皮などだった。
しかし神は文字に留まらず、私たちの思いや心に神の律法を書き記すと言われた。つまり私たちにどうして欲しいのか、または、どうして欲しくないのか、などであり、文章化されたものに限定されず、直接私たちの思いや心に神が語られるのである。
私たちの思いや心は周りには見えない。しかし私たちの言動を通して私たちの思いや心の中にあるものを知ることができる。
私たちが思いや心の中に浮かぶあらゆることが、どこから来ているのか知らなければならない。自分の欲望から来ているのか、それとも神から来ているのかである。つまり自分で責任持って識別しなければならないのであり、文字だけに頼ることはできない。
さらに具体的には、聖書に書かれた言葉が第一にあり、第二に神から受けた預言の言葉であり、そして第三に聖霊の促しであり、それらは矛盾せず首尾一貫している。さあ、今日も聖書の言葉を読み、預言的な適用を聞き、聖霊に満たされ、聖霊の声を聞いて歩みたい。
愛する天のお父様、聖書のことば、メッセージ、そして聖霊を通してあなたの願っていることをお語りください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。