憚ることなく恵みの御座に近づく

「だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。」‭‭(ヘブル人への手紙‬ ‭4‬:‭16)

私たちは神からあわれみを受ける。あわれみとは、本来受けるべき罰を受けずに赦されること。また神の恵みにあずかる。恵みは、本来受けるに値しない良いものを受けること。私たちは神からあわれみと恵みを受け、時機を得た助けを受ける。このような神の助けなしに、わたしたちの人生は無味乾燥で虚しく厳しいものだけで終わってしまう。

私たちは神から与えられた憐れみと恵みがあるから、人生は豊かになっているのである。

私たちと神の間に立ってくれていたのが大祭司である。神の御子イエスは仲保者として、大祭司の役割を担う。大祭司は私たちの弱さを思いやり、神に憐れみと恵みを願う。大祭司も人間である以上、他の人たちと同様に罪を犯してきた。しかし、大祭司イエスは罪は犯すことなく、すべてのことについて私たちと同じように試錬に会われた。(ヘブル人への手紙‬ ‭4‬:‭14‬-‭15‬) 2コリント5:21には、イエスは「罪を知らない方」であったとある。

イエスはすべてのことについて私たちと同じように試練に会われた。全く同じ状況だったというわけではないが、試練にあわれ、私たちに痛みに共感し、助けてくださることは、私たち自身にとっては大きな慰めとなっている。

私たちは、はばかることなく神の恵みの御座に近づいていこう。主が私たちを助けてくださるのだから。

愛する天のお父様、あなたのあわれみと恵みを感謝します。あなたは私たちの助け主です。ありがとうございます。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。