心からの礼拝

「時に主は夜ソロモンに現れて言われた、「わたしはあなたの祈を聞き、この所をわたしのために選んで、犠牲をささげる家とした。 わたしが天を閉じて雨をなくし、またはわたしがいなごに命じて地の物を食わせ、または疫病を民の中に送るとき、 わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。」(歴代誌下‬ ‭7‬:‭12‬-‭14‬)

ソロモンが建てた神殿は礼拝をささげる家であった。犠牲をささげる家とは、動物のいけにえをささげて礼拝していたということだ。

今日私たちは動物のいけにえは必要とされず、私たちの心を主にささげるように召されている。心の良い状態を主にささげる。不平不満の心ではなく、感謝の心であり、疑いと心配に満ちた心ではなく、最終的に主を信頼する心をささげるのである。

主はソロモンに言われた。「わたしが天を閉じて雨をなくし、またはわたしがいなごに命じて地の物を食わせ、または疫病を民の中に送るとき、 わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。」

主なる神が私たちに願っているのは動物のいけにえや、宗教儀式でない。私たちの心である。私たちが謙ること、主の顔を心から求めること、悪い道を離れて正しい道に歩もうとする決心などである。

私たちが心から主を礼拝するとき、主は天から聞いて、私たちの罪をゆるし、私たちの地をいやしてくださる。癒やしがあると、地には食物があふれ、疫病などの感染拡大は鎮静化する。

状況が変わろうと変わらまいと、謙り、心からの礼拝を主にささげていきたい。

愛する天のお父様、あなたは私たちが謙遜になり、形だけではなく心からの礼拝を喜ばれるお方です。あなたをほめたたえます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。