神様に何を求める?

聖句:”ギブオンで主は夜の夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。父があなたに対し真実と正義と真心をもって、あなたの御前に歩んだからです。あなたはこの大いなる恵みを父のために保ち、今日のように、その王座に着いている子を彼にお与えになりました。わが神、主よ。今あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし私は小さな子どもで、出入りする術を知りません。そのうえ、しもべは、あなたが選んだあなたの民の中にいます。あまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど大勢の民です。善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、この大勢のあなたの民をさばくことができるでしょうか。」これは主のみこころにかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを願い、自分のために長寿を願わず、自分のために富を願わず、あなたの敵のいのちさえ願わず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を願ったので、見よ、わたしはあなたが言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに、知恵と判断の心を与える。あなたより前に、あなたのような者はなく、あなたの後に、あなたのような者は起こらない。そのうえ、あなたが願わなかったもの、富と誉れもあなたに与える。あなたが生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者は一人もいない。また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしの掟と命令を守ってわたしの道に歩むなら、あなたの日々を長くしよう。」ソロモンが目を覚ますと、見よ、それは夢であった。彼はエルサレムに行き、主の契約の箱の前に立って、全焼のささげ物を献げ、交わりのいけにえを献げ、すべての家来たちのために祝宴を開いた。”列王記 第一 3章5~15節

観察:
            神様は夢の中でソロモンと会話をしています。主は夜の夢のうちにソロモンに現れ、こう仰せられました。「あなたに何を与えようか。願え。」 二つのことが真理として読み取れます。 神様は夢を通して私たちに語られます。神様はあらゆる手段を使って私たちに語られます。 神様はバラムにロバを使って語られました。 マリアには、み使いを使って語られました。イエス様がエルサレムに入られる際、イエス様を大声で称える人たちを蔑んでいた人たちに向かって、イエス様はこう言われました。「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」 神様が語られようとする時には、何も神様を止めるものは存在しません。
            もう一つ見えてくるのは、神様が私に尋ねられてくる時の私が、神様が「あなたに何を与えようか。願え。」と言われたとき、私は何を求めるかということです。ソロモン王の答えは私が求めようとするものとはかけ離れたものでした。この神様とのやりとりから読めることは次のようなことです。  
·      まずソロモンは神様のことを認めていました。神様がソロモンの父親にしてくれたこの数々を思い出しました。神様の優しさ、特に神様がソロモンにダビデの後継者の座を与えてくれたということに気づき、神様のやさしさをソロモンは思い出しました。ソロモンは、神様の優しさ以外の他に祝福を求めていませんでした。私たちには、たくさんの選択肢がありますが、必ずしも全てが私たちにとって益となるものではありません。ソロモンは、彼の父親の代わりに自分を王としたのは神様であることを知っていました。 ·      ソロモンは自分がまだ未熟な子供であり、王の大役をどう担っていったらよいかわからないことを認めていました。神様からの導きを得るための謙遜と神様への依拠は、ソロモンの神様への真の心の叫びでありました。ソロモンは、神様の民を導くと言う責任は、神様から与えられたものであることを認識していたのです。この民はソロモン王の民ではありません。神様の民なのです。
·      この民がソロモンの民ではないこと認識した上で、ソロモンは神様に民を導く力を与えてくださいとはお願いませんでした。むしろ、民を導くため、知恵と善悪を見極める判断力をくださいと神様にお願いしたのです。私たちは人々のリーダーとなるときに、決して権力を欲しがるのではなく、彼らを治め導くための知恵を渇望しなければなりません。 
これは、リーダーとして、牧師として、私が考えるべき力に溢れた教訓です。 私は、自分の責任を全うするために、権力に飢えて神様の民を導いてはいけません。 私は、知恵と善悪を見極める判断力に飢えながら、自分の責務を遂行していかねばなりません。

            神様はソロモンの答えを喜ばれました。 私たちの願いには、神様を喜ばせる願いと、神様を不快にさせる願いがあります。神様がソロモンの願いを喜ばれたのは、それが自分のこと、自分のためではなく、神様の民のことを思う願いだったからです。 私たちが人を導くリーダーとしての働きをする機会があるとすると、それはリーダーである自分たちのためではなく、私たちが導く人々のためであることを忘れてはいけません。

            神様は、ソロモンが個人的な自分の利益を考えず、神様の民をよく治めるために心を砕こうとしていたゆえに、ソロモンに多くのものを与えました。神様は、ソロモンが長寿や自分のための富や敵の命を求めず、正義を司るための見識を求めたことをとても喜ばれました。私は、自分の心のうちにある動機を常にチェックしなければなりません。なぜなら、それは私が人々をどのように導くかに影響するからです。 神様にとって、リーダーの地位はそれほど重要ではありません。 私たちの心が重要なのです。
            ソロモンが求めなかったものまで、神様はソロモンに与えると言われました。神様は言われた、「見よ、わたしはあなたが言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに、知恵と判断の心を与える。あなたより前に、あなたのような者はなく、あなたの後に、あなたのような者は起こらない。その上、あなたが願わなかったもの、富と誉れもあなたに与える。あなたが生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者は一人もいない。また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしの掟と命令を守ってわたしの道に歩むなら、あなたの日々を長くしよう。」
適用:            リーダーというポジションの役割よりも、自分の心の位置の重要性を再認識させられます。 私は、祝福されたいという自分の願いよりも、神様の心とみこころに常に飢えていなければなりません。 神様の祝福は、私の心が正しい位置にあるときに必ずやってきます。 私は、謙虚な心で、神様の目的に飢えつつ、日々神様を求めていきたいと思います。

祈り:            イエス様、私がソロモンのように、あなたの義と真理に飢える心を持つことができるように、助けてください。 あなたの民を導き、私よりも彼らの祝福を求めることができるように助けてください。 私は、あなたのようにあなたの民を導き、あなたが私に与えてくださった能力を最大限に発揮して、彼らを牧していきたいと思います。 アーメン!