悔改めにふさわしい実を結べ

「ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。 だから、悔改めにふさわしい実を結べ。 自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。 斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。」(マタイによる福音書‬ ‭3‬:‭7‬-‭10‬)

パリサイ派とサドカイ派の人々はユダヤ教の熱心なグループの人たちであり、彼らは自分たちはアブラハムの子孫であることに安堵し、特別階級にいるかのような錯覚を起こし、祝福を受ける民であるという血筋を誇るだけで、品性を蔑ろにし、を悔い改めにふさわしい実を結んではいなかった。

イエスは、アブラハムの子孫は石ころからでも起こせると言われた。だから私たちは血筋や自分の能力などを誇ることなどできない。

むしろ自分自身の罪深さを自覚し、神の憐れみと恵みによって救われることを感謝して生きるように挑戦された。私たちが本当に自分の罪を悔い改めているのなら、実を結ぶからである。

私は悔改めにふさわしい実を結んでいるだろうか?神に心を向けて生きる時、私たちは神の性質を持つ身を結ぶことができる。

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。」(‭‭ガラテヤ人への手紙‬ ‭5‬:‭22‬-‭23‬)

愛する天のお父様、あなたが私を罪から救ってくださったことを感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。