主は心を見る

「しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。」(サムエル記上‬ ‭16‬:‭7)

預言者であり民の指導者であったサムエルがイスラエルで最初に立てた王はサウルであった。サウルは顔かたちや身のたけの良い人物だったが、主に従わない王であった。

主に従わず自分勝手な行動をするサウルに対してサムエルは言った、 「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、 燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。 見よ、従うことは犠牲にまさり、 聞くことは雄羊の脂肪にまさる。 そむくことは占いの罪に等しく、 強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。 あなたが主のことばを捨てたので、 主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。」(サムエル記上‬ ‭15‬:‭22‬-‭23‬)

主が別の王を立てようとされ、その時主がサムエルに言われたのは、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」であった。

主は心を見るお方だ。主を愛し、主に従おうとする者を主は評価される。私たちの顔やかたち、見かけや能力、カリスマ性や口のうまさではない。私たちの外見ではなく、私たちの心の内側を主は見ておられ、用いてくださる。

サウルは動物を捧げる時、上質の動物を捧げようとしたが、それ以上に大切なのは、主に対して惜しむ心ではなく、主に捧げる心、主に従う心である。

主に従う者でありたい。

愛する天のお父様、あなたの言葉に従う者としてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。