わたしを重んじる者をわたしは重んじる

聖句:

“なぜあなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、わたしへのささげ物を、わたしの住まいで足蹴にするのか。なぜあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうちの、最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。

それゆえ──イスラエルの神、主のことば──あなたの家と、あなたの父の家は、永遠にわたしの前に歩むとわたしは確かに言ったものの、今や──主のことば──それは絶対にあり得ない。わたしを重んじる者をわたしは重んじ、わたしを蔑む者は軽んじられるからだ。”

サムエル記 第一 2章29~30節

観察:

  ホフニとフィネハスの二人は、彼らの父と一緒に神様に仕える祭司であるべきでした。 しかし、彼らは悪党であり、主のことを全く考えていませんでした。 彼らは、神様だけがその受けるべき犠牲と供え物を軽んじていたのです。 神様はエリに、息子たちの悪行を指摘されました。しかし、サムエル記によると、エリは息子たちを本気で正すことをしませんでした。 エリは神様よりも息子たちを大切にしてしまっていたのです。 

私たちの人生にも、神様よりも他人や自分自身を重んじてしまう時があるものです。 ホフニとフィニアスは、民が捧げたもののうち、その最も良い部位を取って自分たちのために食べ、神様を軽んじました。 彼らは神殿の女たちと寝たりして好き放題を重ねていました。 彼らは父の叱責に耳を貸そうともしませんでした。

         神様に仕えているのに、神様を軽んずるというのは、恐ろしいことです。 私たちも、神様を軽んじてしまうことがあります。 私たちは、神様の促しに従わずに、自分を喜ばせるための選択をしたり、決断をしたりしています。 多くの人は、人から称賛を受けるために、神様にとって尊いものを無視します。 多くの人は、自分の持っているすべてのものの中で最高のものを自分のために手元におき、神様にとって捧げるのにふさわしいもの、そして、誉となるものを少しだけ神様に捧げています。

神様はエリに、彼の家族が長い間、神職として仕えることを約束されました。 しかし、神様はエリへの約束を変えると仰られます。神様はこう言われました。「それゆえ、あなたの家と、あなたの父の家は、永遠にわたしの前に歩むとわたしは確かに言ったものの、今やそれは絶対にあり得ない。わたしを重んじる者をわたしは重んじ、わたしを蔑む者は軽んじられるからだ。」

         神様の約束は常に条件付きです。人はどうして神様を軽んずるのでしょう? どうして、人は神様を見下してしまうのでしょうか? それは、エリの二人の息子の生涯を見れば一目瞭然です。 彼らは、神様に属するべき最も良いとされるものを我が物にしてしまっていました。 彼らは自分の役職や祭司の権威を悪用して、罪を犯すことを自ら許してしまっています。 彼らは神様の祭司として受け入れることのできない、快楽にふけって生きていました。 彼らは神様を軽んじ、神様を侮る心で神様に仕えようとしていました。

私も、主の前で同じような態度になる危険と弱さがあります。 私はエリの二人の息子と何ら変わりはありません。実際、すべての信者は、神様の前で同じ罪を犯す可能性が遠からずあるのです。 私たち全員が、神様を侮るような心で神様に仕えていないか、自分の心をチェックすることは、良いことです。

適用:

私は、同じ罪を犯すのに、彼らとそう変わらないことを知りました。 人生において、正しく、かつ、ほめられた決断をすることで、神様を尊びたいと思います。 私は、毎日のスケジュールや計画の中で、神様のことを優先させることをきづかされます。 私は、神様のアドバイスや助言に心を開きます。 私は、すべてのことにおいて、イエスさまを讃えます。 私の日々の祈りは、神様の民のリーダーとしての職責を濫用して、私が率いる人々に対して罪深い行為をすることがないようにすることです。

祈り:

イエスさま、私の人生におけるあなたの恵みとあわれみに感謝します。 私は、あなたの御言葉と御業に対する私の態度が、あなたを辱めることがあったことを認識しています。 私の中にある反抗的な心にあなたの赦しときよめを求めます。どうか私が、あなたの民の前で、あなたの前で、あなたを讃える奉仕者になれるように助けてください。 私は、日々、私のすべてをもって、あなたを尊びたいと思います。 あなたの御名によって、私を教え、導いてください、アーメン!