ただ主に喜ばれる者に

「わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。 それで、わたしたちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。 そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。」(‭‭コリント人への第二の手紙‬ ‭5‬:‭7‬-‭9‬)

私たちの願いは、ただ主に喜ばれる者となることである。

主に喜ばれる唯一の方法は、主を信頼して生きることではないか?これを信仰によって歩くという。目に見えるものがなければ歩くのが困難だ。しかし目に見えるものだけではなく、目に見えないものによって歩くのは困難である。だから信仰がなくてはならない。

聖書の言っていることを信じるのも、人間の力を超えているものを事実と認める信仰が必要だ。また経済的な保証を得ずに神の不思議な備えによって歩むためにも信仰がなくてはならない。さらに教会開拓するのも信仰によって一歩踏み出し、主の備えによって建て上げられてゆくのだから、信仰がなくてはならない。

神の愛や神の救い、永遠のいのちを得、神の子どもとなるには神を信じなければならない。神が信じることを大切になさっているのだから、私たちが主を信頼することを主は喜ばれる。

主に喜ばれることが最も素晴らしいことだから、主に喜ばれる者となりたい。

愛する天のお父様、あなたを信頼して歩む者となりますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。