エフタの誓いの言葉

「やがてエフタはミヅパに帰り、自分の家に来ると、彼の娘が鼓をもち、舞い踊って彼を出迎えた。彼女はエフタのひとり子で、ほかに男子も女子もなかった。 エフタは彼女を見ると、衣を裂いて言った、「ああ、娘よ、あなたは全くわたしを打ちのめした。わたしを悩ますものとなった。わたしが主に誓ったのだから改めることはできないのだ」。 娘は言った、「父よ、あなたは主に誓われたのですから、主があなたのために、あなたの敵アンモンの人々に報復された今、あなたが言われたとおりにわたしにしてください」。」(‭‭士師記‬ ‭11‬:‭34‬-‭36‬)

誓いの言葉はパワフルだ。その言葉には重みと責任がある。そして周りの人々を安心させる効果もある。だから出来ない約束事や、無理な誓いを立てることに十分注意しなければならない。

士師記の時代、アンモンの人々がイスラエルと戦おうと攻めてきたので、ギレアデの長老たちは行って遊女の子エフタに頼み込んで自分たちの大将になってもらった。

ギレアデの家から正式な子どもでないことを理由に追い出されたが、エフタには軍事的指揮官としての能力があったようだ。

何よりも主の霊がエフタに臨んだので、エフタはギレアデのミヅパに行き、ギレアデのミヅパから進んでアンモンの人々のところに行き、エフタは主に誓願を立てて言った、「もしあなたがアンモンの人々をわたしの手にわたされるならば、 わたしがアンモンの人々に勝って帰るときに、わたしの家の戸口から出てきて、わたしを迎えるものはだれでも主のものとし、その者を燔祭としてささげましょう」。

 エフタはアンモンの人々のところに進んで行って、彼らと戦ったが、主は彼らをエフタの手にわたされたので、 アロエルからミンニテの附近まで、二十の町を撃ち敗り、アベル・ケラミムに至るまで、非常に多くの人を殺した。こうしてアンモンの人々はイスラエルの人々の前に攻め伏せられた。(士師記‬ ‭11‬:‭30‬-‭33‬)

さて主がアンモンの人々をエフタの手に渡され、 勝利の凱旋を経て、家の戸口から出てきたのは誰だったのか?

エフタのひとり娘が鼓をもち、舞い踊って彼を出迎えたのである。エフタは衣を裂いて悲しんだ。この時主は沈黙を守られた。

エフタの娘は父に言った、「どうぞ、この事をわたしにさせてください。すなわち二か月の間わたしをゆるし、友だちと一緒に行って、山々をゆきめぐり、わたしの処女であることを嘆かせてください」。 エフタは「行きなさい」と言って、彼女を二か月の間、出してやった。

彼女は友だちと一緒に行って、山の上で自分の処女であることを嘆いたが、 二か月の後、父のもとに帰ってきたので、父は誓った誓願のとおりに彼女におこなった。彼女はついに男を知らなかった。 これによって年々イスラエルの娘たちは行って、年に四日ほどギレアデびとエフタの娘のために嘆くことがイスラエルのならわしとなった。」(‭‭士師記‬ ‭11‬:‭37‬-‭40‬)

実に悲しい話である。エフタの出自と家から追放も悲しい事実。イスラエルの将軍となったことは一時の慰めではあったが、自ら誓った言葉には神への全幅の信頼が欠如していたのではないか。このことに主は沈黙され、エフタは誓い通りに実行しなくてはならなかった。誓いには重みがあるからだ。そしてこの記述が聖書に書かれていることにも意味がある。

誓いの言葉を軽々しく口にしないように気をつけたい。それ以上に主に全幅の信頼を寄せたい。

愛する天のお父様、あなたは私たちの主です。私たちの人生をあがない、私たちを用いてくださいます。あなたを信頼して歩むことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。