神の霊によって洗われ、きよめられ、義とされた

「それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、 貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。 あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。」(コリント人への第一の手紙‬ ‭6‬:‭9‬-‭11‬)

私たちは以前は、神の国をつぐことはない正しくない者だった。しかし私たちは主イエス・キリストの名によって、また神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされ、神の国を継ぐに正しい者、相応しい者とされた。

パウロがクリスチャンに対してこのように話をした。

「しかるに、兄弟が兄弟を訴え、しかもそれを不信者の前に持ち出すのか。 そもそも、互いに訴え合うこと自体が、すでにあなたがたの敗北なのだ。なぜ、むしろ不義を受けないのか。なぜ、むしろだまされていないのか。 しかるに、あなたがたは不義を働き、だまし取り、しかも兄弟に対してそうしているのである。」(コリント人への第一の手紙‬ ‭6‬:‭6‬-‭8‬) クリスチャンたちがお互いに訴え合うこと自体が不義であるという位置づけだ。

訴訟問題にする前に、私たちは主イエス・キリストの名、また神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされ、神の国を継ぐに正しい者、相応しい者とされたことを忘れてはならない。

この地上で訴え、何かしらのものを勝ち得たとしても、私たちは天の御国を受け継ぐ者であることを忘れてはならない。

私たちは神に義とされたことを肝に銘じ、目先の利益ではなく、永遠の祝福に目を留めていきたい。

愛する天のお父様、私たちがイエスキリストの名により、神の霊によって洗われ、きよめられ、義とされたことを感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。