心に割礼を

「そしてあなたの神、主はあなたの心とあなたの子孫の心に割礼を施し、あなたをして、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主を愛させ、こうしてあなたに命を得させられるであろう。」(申命記‬ ‭30‬:‭6‬)

割礼は体に施すもの。具体的には男性器の表皮をナイフで切り取る儀式のことだ。割礼には衛生的な目的、もう一つは宗教的目的があるが、この習慣は今でも北アフリカ、中東、アジアなどの諸地域に残っていて、それぞれの文化において目的が異なる。

ユダヤ人の場合、割礼は神がアブラハムと結んだ契約(アブラハム契約)のしるしである。ノア契約のしるしが虹であったのに対してアブラハム契約のしるしは割礼だった。神とアブラハムの間に契約が締結され、それを確認するために割礼が命じられた。アブラハム契約はアブラハムの子孫たちであるユダヤ人に引き継がれ、今でも男子は生まれて8日目に割礼を受けている。聖書では女性に対する割礼は命じられていない。それは深刻な被害をもたらし、女性に対する世界的に人権侵害の問題になっている。

さて主なる神はイスラエルの民に向かって心に割礼を施す、と言われた。肉体への割礼ではない。肉体に施す割礼は神の民であることのしるしであっても、神の教えに歩まなければ何の意味もない。そもそも割礼を受けたのは彼らが神の民であり、神の教えに歩むためだったのに、彼らは神との契約を守ることができなかった。イスラエルのたみが神のみこころに歩めなかったのは心を包む皮を切り捨てられていなかったからであった。

だから「新しい創造」(ガラテヤ6:15)、つまり新しく造られ、心に割礼を受けることが大切なのである。心の皮を切り捨てるなら、私たちは心を尽くし、精神を尽くして、主なる神を愛し、生きることができるようになる。

素晴らしい預言がある。それはやがてイスラエルが再び、主の御声に聞き従い、主のすべての命令を行なうようになるということ。それは彼らが心に割礼を受け、聖霊によって変えられ、心から神に従うようになる。

「あなたの神、主は、あなたのすべての手のわざや、あなたの身から生まれる者や、家畜の産むもの、地の産物を豊かに与えて、あなたを栄えさせよう。まことに、主は、あなたの先祖たちを喜ばれたように、再び、あなたを栄えさせて喜ばれる。これは、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従い、このみおしえの書にしるされている主の命令とおきてとを守り、心を尽くし、精神を尽くして、あなたの神、主に立ち返るからである。」

 イスラエルは、神との契約を破り、神の命じられたことに従わなかったことで神ののろいを受けたが、主はそんな彼らを再び栄えさせると言っている。それは彼らが心に割礼を受けて、神に立ち返り、心を尽くして、精神を尽くして、主の御声に従うようになるからだ。

私たちも主の御声に従わないで罪を犯し、主のさばきとのろいを受けるようなことがあるが、悔い改めて、主に立ち返り、心を尽くして、主により頼むなら、主は再び私たちを回復させ、その祝福の中へと入れてくださる。だから失敗してもそれで終わりではない。私たちは心に割礼を受けること、神の聖霊によって、かたくなな心を砕いていただき、主に従って歩みたい。

愛する天のお父様、私たちが心に割礼を受け、新しく造り変えられ、あなたに従って歩むことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。