主の憐れみを忘れるな!
「あわれんではならない。命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足をもって償わせなければならない。」(申命記 19:21)
この言葉は私たちの過失や罪に対する本来の報いについて教えている。これは同態復讐法と呼ばれる法律で、有名なハンムラビ法典に典拠がある。旧約聖書では出エジプト記21章23節以下、申命記19章21節にみることができる。被害を受けた時、最低限の賠償は必要だが、実はそれ以上の反撃をするなど、倍返しなどの報復の連鎖を断ち切るための思いやりを表したものである。
しかし仕返しを妥当な行為としても、実際同じようにやり返せば喧嘩となる。仕返しに正当性があっても問題の火に油を注ぐことになるだけである。
イエスは私たちクリスチャンたちの生き様についてこのように語られた。「『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。」(マタイによる福音書 5:38-39)キリストは仕返しではなく、赦すことを要求した。
キリスト自身が私たちの罪を赦してくださったことを覚えていなければならない。私たちは全員、正しい神の前に有罪であり、本来は何かしらの方法で償わなければならない。自分自身が犯したすべての罪をどのように償うことができるのか?
無理である。懲役や罰金をもっても支払いきれない。
私たちにできるのは、神の御子の血しかない。神の御子キリストが、あがないの生け贄となられ、私たちの代価を支払い、信じるなら赦免すると言われたら、それを信じて、キリストを信じることしかできない。
私たちはすべての罪を赦して頂いた。神ご自身の犠牲の故に。「目には目を」の通りに加害者を扱う前に、自分自身の罪がすべて帳消しになっていることを感謝し、右目を求められたら左目を差し出しても未だお釣がくるくらい(もちろん両目を失うのは困るが)の、命の問題が解決してくださったことを肝に銘じておきたい。
愛する天のお父様、あなたの深い愛、あわれみを感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。