くびきの横木を砕き、真っ直ぐに立って歩く

「わたしはあなたがたの神、主であって、あなたがたをエジプトの国から導き出して、奴隷の身分から解き放った者である。わたしはあなたがたのくびきの横木を砕いて、まっすぐに立って歩けるようにしたのである。」(レビ記‬ ‭26‬:‭13‬)

イスラエルの民はエジプトで奴隷状態にいた。エジプトの王パロから重い苦役を課せられ、肉体的にも精神的にもかなり苦しかったことだろう。

彼らの叫びを聞いて、主なる神はイスラエルの民をエジプトの国から導き出して、奴隷の身分から解き放たれ、彼らを自由と身とされた。イスラエルの民は奴隷のくびきにつながれていたが、主がその横木を砕き、彼らが真っ直ぐに立って歩けるようにしてくださったのだ。

今日私たちが奴隷状態にあるとすれば、おそらく罪に対する奴隷であろう。罪とは神に背くこと、神はいらないと高ぶる思いなどであり、犯罪行為や他人への迷惑行為だけではない。罪は心の問題であり、悪い考えや汚れた思いも含まれる。私たちが罪から自由になりたいと思っても、自分の力で内面の罪を乗り越えることは誰一人としてできない。

イエスキリストの十字架は私たちのくびきを打ち砕き、私たちが罪から解放されて真っ直ぐ歩けるようにしてくださった。イエスキリストの十字架の贖いを信じる信仰によって私たちの罪は赦されると主は言われた。

本来なら自分の罪は自分の血をもって贖わなければならない。そしてその血は罪の無い血でなければならない。しかし私たちは自分の血で償うことさえもできない。だから完全に聖なる方の血が必要なのである。その償いの値するのが神の御子イエスキリストの血である。御子イエスが自分の血をもって私たちの罪を赦すと聖書の言葉をもって宣言された。だから神の前に私たちの罪が赦される方法は、神の宣言、神の約束を信じることだけである。つまり私たちは信仰でしか自分の罪の赦しを確信することしか出来ないのである。

私たちを奴隷の身分から解き放ち、また私たちのくびきの横木を砕き、神の前に、また神と共にまっすぐに立って歩けるようにしてくださった主に従って歩みたい。

愛する天のお父様、あなたの贖いを感謝します。私たちの罪を赦し、救いを与えてくださり、ありがとうございます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。