主の山に登り得る者

「だれが主の山に登り得るのか。だれが聖なる御前に立てるのか。手がきよく心の澄んだ人、そのたましいをむなしいものに向けず偽りの誓いをしない人。その人は主から祝福を受け、自分の救いの神から義を受ける。これこそヤコブの一族。神を求める者たち。あなたの御顔を慕い求める人々である。セラ」(詩篇 24:3-6)

主の山に登る得る者とは、主が許されて主から祝福を受け、救いの神から義を受ける者だ。

主から祝福される者とは、先ず、手がきよく、心の澄んだ人である。不正に手を染めず、清い心の状態に保持しようと努める人だ。神と人との前に悔い改め、正しい選択をし、神の憐れみを感謝して歩む人である。

そのたましいをむなしいものに向けないことも大切だ。世の中には虚しいことが溢れている。虚しいとわかっていて付き合い、戯言を口走る。しかし価値あることに目を向け、時間とお金と労力を費やすなら、自らの心はともかく他人も、また神に喜ばれる。

そして偽りの誓いをしないこと。誠実に生きたい。保身のために偽証したり、偽情報で誰かを撹乱したり、不当な利益を得るのではなく、主を意識して歩みたい。

愛する天のお父様、あなたは私たちを祝福してくださるお方です。あなたの前に、また他者の前に正しく生きる者としてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。