たましいの贖い金

「あなたがイスラエルの子らの登録のためにその頭数を調べるとき、各人はその登録にあたり、自分のたましいの償い金を主に納めなければならない。これは、彼らの登録にあたり、彼らにわざわいが起こらないようにするためである。」(出エジプト記 30:12)

イスラエルの民としての集合体にとって会見の天幕は公的機関であり、彼らのためのあらゆるサービスを提供する場所であった。

その費用を賄うために神が民に課せられのが、各自が民として登録し、自分のたましいの償い金として半シェケルを主に納めることだった。

半シェケルというと、銀の重さで5.7グラムほど。現在銀は1gあたり約100円なので、半シェケルは570円くらいだ。安いラーメンを一杯食べられる価値だ。こうすると大した金額ではない。約500円ならば、民全体に一律課せられたとしても、さほど国民の負担とはならないように感じる。

主は言われた。「登録される者がそれぞれ納めるのは、これである。聖所のシェケルで半シェケル。一シェケルは二十ゲラで、半シェケルが主への奉納物である。二十歳またそれ以上の者で、登録される者はみな、主にこの奉納物を納める。あなたがたのたましいのために宥めを行おうと、主に奉納物を納めるときには、富む人も半シェケルより多く払ってはならず、貧しい人もそれより少なく払ってはならない。イスラエルの子らから償いのための銀を受け取ったなら、それを会見の天幕の用に充てる。こうしてそれは、イスラエルの子らにとって、あなたがたのたましいに宥めがなされたことに対する、主の前での記念となる。」(出エジプト記 30:13-16)

半シェケルの納付が、民一人一人の魂に宥めがなされるという表現が興味深い。エジプトから救出された民にとって半シェケルでの登録により民の一員となることができ、また災いから守られるという約束は、イスラエルの民のたましいに宥めがもたらされる。そういう意味での贖い金は、経済的負担として考えても軽微な金額だ。純粋に会見の天幕の用に充てられた実費をカバーしているに過ぎない金額だとしたら、神の寛大さを覚えるのみだ。

私たちの罪のあがないの代価として御子イエスをささげてくださった主の愛の大きさに比べたら私たちのささげ物はほんの僅かなものにしか過ぎない。大きな愛をもって祝福してくださった主に心から感謝したい。

愛する天のお父様、あなたの罪の贖いを心から感謝します。私たちはあなたに属する者とされ、御国を受け継ぐ者とされました。感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。