イエスの復活を宣べ伝える

「ペテロとヨハネが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人たちが二人のところにやって来た。

彼らは、二人が民を教え、イエスを例にあげて死者の中からの復活を宣べ伝えていることに苛立ち、二人に手をかけて捕らえた。そして、翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。しかし、話を聞いた人々のうち大勢が信じ、男の数が五千人ほどになった。」(使徒の働き 4:1-4)

イエスキリストの弟子であり使徒と呼ばれるようになったペテロとヨハネがイエスが死者の中からの復活したことを宣べ伝えていると、祭司たちや宮の守衛長、サドカイ人たちが二人に対して苛立ち、捕まえて翌日まで留置した。

サドカイ人(またはサドカイ派)の人たちは死者の中からの復活を否定する立場を取った。当時彼らは裕福な貴族であり、祭司長や大祭司を含める権力のある地位を占め、サンヘドレンと呼ばれるユダヤの最高議会の70席のうち大多数の席についていた。

サドカイ人は当時イスラエルがローマ帝国の支配下にありローマの意向を汲み、宗教よりも政治に関心を持っていた。しかしイスラエルの庶民たちは、ローマ寄りのサドカイ人ではなく、少数派のパリサイ人たちの考えに同意してついて行く傾向があった。

宗教的また教理的にサドカイ派は書かれたみことば、特にモーセの書(創世記から申命記まで)の権威を支持しつつも聖書の見解と矛盾した考えを持っていた。

例えば、彼らは日々の生活に神が関係しておられるのを否定するほど非常に自立していた。そして、彼らは死者の復活を否定し(マタイ22:23, マルコ12:18-27、使徒伝23:8)、死後にいのちがあることを否定し、魂は人の死後滅亡するとし、彼らは天使や悪霊などの霊的世界の存在を否定した。(使徒伝23:8)

宗教的な理由、また政治的理由で、イエスに苛立ちを現したサドカイ派の人々であったが、私たちも似たような状況に置かれたとき、真理の上に立ちたい。自分の信念が緩いとさまざまな圧力を迎合してしまうであろうが、固い信念に立つなら、私たちの信仰は揺るぎないものとなる。

私は頑固者と言われることもあるが、妥協して後悔するくらいなら、固い信念と、真理と受け止めた生き方に立ちたい。

愛する天のお父様、あなたの御子イエスキリストは私たちの罪をあがなうために十字架の上で死に、三日目に死人の中からよみがえり、信じる者を救いへと導いてくださいました。感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。