愚か者にはなるな。心を鈍くするな。

聖句:

“そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。

キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか。」

それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。

彼らは目的の村の近くに来たが、イエスはもっと先まで行きそうな様子であった。

彼らが、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いています」と言って強く勧めたので、イエスは彼らとともに泊まるため、中に入られた。

そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。

すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。

二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」”

ルカの福音書 24章25~32節

“それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、”

ルカの福音書 24章45節

観察:

            イエスさまの弟子たちは、イエスさまが病人を癒し、死者をよみがえらせ、足萎えを歩かせ、盲人の目を開けられた姿を何度も目にしていた。しかし、何かを見落としていました。イエスさまは、自分が死んで、三日目によみがえることを大胆に語っていました。しかし、弟子たちは悲しみのあまり、イエスさまが教えてくださったこと、自分たちが見聞きしたことすべてを忘れてしまっていました。

            エマオへの道を歩いていた弟子たちも同じでした。 私たちは、イエスさまが自分に従うようにと手塩にかけた十二人の弟子だけしか見えていませんが、イエスさまのそばでイエスさまに従っていた人も多くいました。しかし、彼らも、自分たちが知っていた真理が、苦悩と悲しみと失望のうちに突如として瞬時に消えてしまっていました。

             イエスさまは、エマオへの道でのこの二人の弟子との出会いから、多くの弟子が抱えている問題を見つけられました。 「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか。」それからイエスさまは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされました。

            イエスさまはこう言いました。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。 」愚かな人は、良識や判断力に欠け、また決して賢くありません。 どんなに多くのことを教えられても、どんなに多くのことを見聞きしても、愚か者は、それらをすべて無視することを選びます。私はこの二人の弟子に共感するところがあります。注意を払うべき時にそうせず、チャンスがあるのにもそのチャンスを無視して他のことをしてしまうということがよくあります。 

            イエスさまが指摘されたことのもう一つの問題点は、彼らの心の鈍さです。 これは私自身の人生においても問題となることがあります。 信者になってからイエスさまを見ながら、イエスさまとの歩みの中でいろいろなことを経験してきましたが、それでもまだ疑ったり、恐れたりする瞬間があります。その問題は、信じる必要があるのかという疑問、もしくは心が鈍くなっているということです。 

            イエスさまは二人の弟子を聖書に立ち帰らせ、彼らの心の内が燃えるまで、彼らに自分について聖書がどう言っているのかを解き明かし始めました。エマオへの道にいた二人だけが、愚かで、心が鈍くなっていたのではありません。 イエスさまが選ばれた十二人の弟子たちは、それよりもっとひどかったのです。 エマオへの道で、遠目にイエスさまを見ながらも、イエスさまと道中をともにした二人の弟子はともかく、空の墓を見ても、なお信じることができずにいた弟子たちの方はもっとひどいものでした。

            イエスさまは、十二人の弟子たちにも同じことをしなければなりませんでした。誰もいない墓とその中にあったたたまれていた布、そしてそこにいた御使を見たにもかかわらず、彼らの心もまた鈍っていました。イエスさまは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いてあげなればなりませんでした。 このことからわかることは、イエスさまにどれだけ長く従っているか、自分たちが気に入っている聖句をすべて暗記しているかということが問題ではなく、人生で苦難や困難に直面したときに聖句と神様のみ言葉を思い出すことができているかどうかが最も大切だということがわかります。その時に、聖書に立ち返ることを忘れてはいけません。 イエスさまは弟子たちに聖書に書かれていることを悟らせるため彼らの心を開かなければなりませんでした。 

適用:

            どんな時でも神様のみ言葉を忘れてはいけません。奇跡は素晴らしい。 癒しは驚くべき出来事です。 経済的な祝福も素晴らしいし、神様の備えや行いは覚えておくと大きな意味があります。 しかし、それらは時とともに記憶から過ぎ去っていきます。神様のみ言葉、聖句は変わることはありません。決して色あせることはありません。 私は弟子たちのように、時に愚かで、時に心が鈍くなっています。今日、神様のみ言葉の力を思いおこし、それを愛し、みことばに生きるよう時間をとらねばなりません。

祈り:

            イエスさま、あなたのみ言葉に私の目を開いてくださり感謝します。私には、愛情に欠け、あなたのみ言葉の力を愛することもなく、愚かにも祈ったことだけを追いかけてしまっている弟子たちのようになっていることがあります。あなたのみ言葉を愛することができるよう、私に教えてください。 私の人生において、あなたのみ言葉の力を体験するため、私の心を開いてください。 私たちが求め、祈るものはいつか止みますが、あなたのみ言葉は決して色あせることがないことを気づかせてくださり感謝です。