イエスさまを何よりも一番に

聖句:
“さて、大勢の群衆がイエスと一緒に歩いていたが、イエスは振り向いて彼らに言われた。「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。あなたがたのうちに、塔を建てようとするとき、まず座って、完成させるのに十分な金があるかどうか、費用を計算しない人がいるでしょうか。計算しないと、土台を据えただけで完成できず、見ていた人たちはみなその人を嘲って、『この人は建て始めたのに、完成できなかった』と言うでしょう。”ルカの福音書 14章25~30節


観察:
            いつも大勢の人たちがイエスさまの後を追いかけていました。イエスさまはその機会を使って、彼らにチャレンジしています。「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。」これは、人を憎むことについてのイエスさまの教えに反しているようにも思えます。他の箇所で、イエスさまは自分の敵を愛するように教えているからです。しかし、よく読んでみると、そうではなく、イエスさまは決して人を憎むことを支持しているわけではありません。むしろ、イエスさまはご自分との関係と周りの近しい人たちとの間での優先順位について説いているのです。             私たちは二人の主人に仕えることはできません。イエスさまは、群衆に自分に従うことについてチャレンジしているのです。群衆が彼の後をただついていくのではなく、個人としてイエスさまに従っていくことを教えているのです。近親者たちとの関係を引き合いに出すことで、イエスさまへの忠誠心とコミットメントについて問うているのです。
            要すれば、心をつくし、精神をつくし、思いを尽くしてイエスさまに従い、イエスさまを愛する。その意味はイエスさまを他の人間関係よりも優先することです。それは、イエスさまに従うことは、究極的に、あたかも自分の父親、母親、配偶者、子供、兄弟姉妹、そして自分さえも憎むようなことになるのを意味しています。 
私は結婚しています。私の彼女への愛やコミットメントは、イエスさまは別として、他の私の人間関係よりも先に来るものです。だからと言って、私は自分の家族を憎まなければならないのでしょうか?そんなことはありません。結婚していても、私は自分の家族は大事に思っています。しかし、何かあったとして、最後は、私が彼女と一緒になった故に、私は自分の家内と一緒にいることを選ぶでしょう。全てを捨てて彼女と一緒にいるようにするでしょう。私たちの間を割くものは何も存在しないからです。
イエスさまはご自分の後をついてくる群衆から同じようなコミットメントを求めています。そこでのチャレンジは、彼らが、群衆の中にいる他の人や自分と親しい関係にある人たち、はたまた、自分自身を捨てて、自分の十字架を背をえるかどうかというものでした。十字架を背負うという意味は、全てを捨てること。私を愛するイエスさま、私が愛するイエスさまと一緒にいるために、自分や自分の欲しいものを捨てていくことに他なりません。私に対する忠実さを示してくださった十字架で死んでくださったイエスさまに、私が忠誠を示すこと。私の家族や私自身より、イエスさまを選び、イエスさまを愛することこそが、私たちが背をわなければならない十字架なのです。 
適用:            私の人間関係、(それは私がしたいことも含まれる)よりもキリストにコミットし忠実であることの重要性の気づきです。私の人間関係よりも、イエスさまを愛し、イエスさまに従っていきます。それは、自分の妻と他の人間関係におけるコミットメントを思い起こさせるものです。私の彼女との関係は、他の人間関係には及ばないかけがえのないものです。今年、私はイエスさまとの関係を他のすべてのものよりも優先させていき続けます。   祈り:            イエスさま、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くしてあなたを愛することの気づきを与えてくださり感謝します。自分の欲するもの全てを十字架にかけ、一心にあなたのことを追い求め、従うことができるよう、私を助けてください。あなたを愛し、あなたの道、あなたの導きにコミットすることができるよう私を助けてください。 あなたとの関係を、今年、最優先させることができるよう、私を助けてください。 あなたを愛することよりも、自分のビジョンや教会での奉仕を愛してしまうことがないよう、私を助けてください。いつもあなたと一緒にいることの喜びを私に与え、あなたの足元で学ことができますように。