清い心
「神はまた夢で彼に言われた、「そうです、あなたが清い心をもってこのことをしたのを知っていたから、わたしもあなたを守って、わたしに対して罪を犯させず、彼女にふれることを許さなかったのです。 いま彼の妻を返しなさい。彼は預言者ですから、あなたのために祈って、命を保たせるでしょう。もし返さないなら、あなたも身内の者もみな必ず死ぬと知らなければなりません」。」(創世記 20:6-7)
アブラハムがゲラルにとどまっていた時、 アブラハムは妻サラのことを、「これはわたしの妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人をつかわしてサラを召し入れた。
ところが神は夜の夢にアビメレクに臨んで言われた、「あなたは召し入れたあの女のゆえに死なねばならない。彼女は夫のある身である」。 アビメレクはまだ彼女に近づいていなかったので言った、「主よ、あなたは正しい民でも殺されるのですか。 彼はわたしに、これはわたしの妹ですと言ったではありませんか。また彼女も自分で、彼はわたしの兄ですと言いました。わたしは心も清く、手もいさぎよく、このことをしました」。
神はまた夢で彼に言われた、「そうです、あなたが清い心をもってこのことをしたのを知っていたから、わたしもあなたを守って、わたしに対して罪を犯させず、彼女にふれることを許さなかったのです。 いま彼の妻を返しなさい。彼は預言者ですから、あなたのために祈って、命を保たせるでしょう。もし返さないなら、あなたも身内の者もみな必ず死ぬと知らなければなりません」。」
(創世記 20:1-7)
アブラハムは自らの保身のために半分本当の嘘をついた。古代中東では、夫が妻を法的に妹として縁組することによって、自己の権威を高め、結婚の威儀(作法による立ち振る舞い)を高めていたと言われる。サラはアブラハムの妹(従妹)であったが、それ以上に妻であった。
夫婦の愛は、相手の存在を受け止め、全面的に責任を負い合うから一体となる。アブラハムの問題は妻の立場を都合よく変えてしまったことだ。恵みや利益があるときは「妻」で、損失や危険な時は「妹」にする自分の身を守る処世術であった。
さて、このことを知らなかったアビメレクは、サライを自分のところに召し入れた。このこと自体権力の象徴であるが、妹であるなら何も問題ないであろう。
アビメレクがこのことを神の前で清い心でやったことを主なる神ご自身も知っていたため、主はアビメレクを守って罪を犯させなかったと言われた。
アブラハムは神に選ばれた預言者であり、神の偉大な御計画の中に、彼と妻サライを通して、約束の子イサクを与え、ヤコブはイスラエルとなり、その子孫ダビデを通して御子イエスキリストによる人類救済計画を持っていらっしゃった。だから、神はアブラハムと妻サライも守られたのである。
アビメレクは危うく神の永遠の計画に水を差すところだった。アビメレクは清い心のゆえに死を免れることができた。
私たちは間違いを犯してしまうことがあるかもしれない。しかし正しい心、清い心が私たちを救うことになる。
愛する天のお父様、あなたの偉大な救いの計画をありがとうございます。どうか清い心をもってあなたに仕えることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。