ロト救出

「その時、かのふたりは手を伸べてロトを家の内に引き入れ、戸を閉じた。 そして家の入口におる人々を、老若の別なく打って目をくらましたので、彼らは入口を捜すのに疲れた。」(‭‭創世記‬ ‭19‬:‭10‬-‭11‬)

ロトはアブラムの甥にあたる。「テラの系図は次のとおりである。テラはアブラム、ナホルおよびハランを生み、ハランはロトを生んだ。」(‭‭創世記‬ ‭11‬:‭27‬)

彼らはエジプトを出て一緒にネゲブに来たが、それぞれの財産が多すぎて、共に生活することが困難になったため、別れることになった。

「ロトが目を上げてヨルダンの低地をあまねく見わたすと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる前であったから、ゾアルまで主の園のように、またエジプトの地のように、すみずみまでよく潤っていた。 そこでロトはヨルダンの低地をことごとく選びとって東に移った。こうして彼らは互に別れた。 アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住み、天幕をソドムに移した。 ソドムの人々はわるく、主に対して、はなはだしい罪びとであった。」(‭‭創世記‬ ‭13‬:‭10‬-‭13‬)

ソドムはよく潤った肥沃の地で、自然的には非常に恵まれた住みやすい土地であったことだろう。しかし、そこに住む人々は神の前に正しく生きることよりも自分勝手に生きることを選び、主に対して甚だしく罪人と言われるような悪事を働く人々だった。

さてアブラムのところに訪れた主の御使いは夕暮にソドムに着いた。ロトは裕福な人でソドムの門にすわっていたのだが、この2人の御使いを自分の家に招き入れた。

するとソドムの町の人々はロトに叫んで言った、「今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知るであろう」。それは悪事を働くという意味だ。彼らはロトの身に激しく迫り、進み寄って戸を破ろうとした。 その時、かのふたりは手を伸べてロトを家の内に引き入れ、戸を閉じた。 そして家の入口におる人々を、老若の別なく打って目をくらましたので、彼らは入口を捜すのに疲れた。」(‭‭創世記‬ ‭19‬:‭‭5‬, 9-‭11‬)

夜が明けて、み使たちはロトを促して言った、「立って、ここにいるあなたの妻とふたりの娘とを連れ出しなさい。そうしなければ、あなたもこの町の不義のために滅ぼされるでしょう」。」ロトはためらっていたが、主は彼にあわれみを施されたので、かのふたりは彼の手と、その妻の手と、ふたりの娘の手を取って連れ出し、町の外に置いた。 主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、 これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。 こうして神が低地の町々をこぼたれた時、すなわちロトの住んでいた町々を滅ぼされた時、神はアブラハムを覚えて、その滅びの中からロトを救い出された。」(‭‭創世記‬ ‭19‬:‭15,16‬, ‭24‬-‭25‬, ‭29‬)

ロトは自然的な安定や豊かさを求めてソドムに住み続けたのだろうが、妻は神の命令に背いて塩の柱となり、娘たちからは自分を通して子孫を残すように利用され、悲しみの多い人生を送るが、叔父アブラハムのゆえにロトの人生には主の憐れみが注がれ、度重なる生命の危険だけは回避できた。

波乱万丈の人生を送ったロトから私たちが学べるのは、自然的・人間的な裕福さに囚われずに神の憐れみに感謝し、神を愛する人生を送ることではないだろうか。

愛する天のお父様、あなたは憐れみ深いお方です。様々な欲にかられるのではなく、今与えられていることをあなたに感謝する者としてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。